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邦画史代表キャラ「森の石松」の片岡千恵蔵と中村錦之助の先後輩当り役リレー&名作「二十八人衆」相互



邦画史代表キャラ「森の石松」の片岡千恵蔵中村錦之助の先後輩当り役リレー&名作「二十八人衆」相互





今回もテレビやマスコミが取り上げない本当の映画の真実に迫ります。


大巨匠稲垣浩の主な監督としての流れと国民的映画題材の名作にも迫ります。


記事中盤から部分で登場する稲垣浩も関与している清水次郎長は、日本を代表する国民的映画題材の一つです。反日マスコミが日本映画の真実を無視するため、これさえも、ご存じない方々も多くいるかもしれません。また多くの真実が現在も、当たり前の様に隠蔽されています。


清水次郎長題材の映画は、1910年代から100本を越す映画が製作されてきており、テレビドラマも数十本が製作されています。これは映画題材のみだと忠臣蔵、股旅、水戸黄門に次ぐ本数と確認しています。本数のみだと上位の国民四大題材ともいえます。

その清水次郎長題材の内部題材としても知られている、大きな人気を誇った日本人ならするべき価値のあるキャラクターにも迫ります。そこには時代劇を代表する2大俳優の存在がありました。



清水次郎長 稲垣浩 忠臣蔵 股旅 水戸黄門 国民四大題材




前回記事 監督100本の巨匠候補最年少「荻原」(オギワラ)か「萩原」(ハギワラ) 梶原金八メンバー8名の天下無敵平々凡々






日本映画史上上位の監督と主演コンビ数50本越え 稲垣浩と千恵蔵とのコンビ






単独主演映画350本を越す世界の映画スター片岡千恵蔵、一方はあのチャップリン(チャールズ・チャップリン)はたかが主演90本弱、本数はなんと千恵蔵の4分の1のレベルに留まっています。*350本はオリジナル、改修、断片なども含む本数

左派のマスコミは現在も平然と自虐を続け、日本の個性と魅力を無視し、日本は見習うべきだと、日本人よりも理屈の伴わない外国人たちの誇張を続けています。


片岡千恵蔵 チャップリン チャールズ・チャップリン


稲垣浩片岡千恵蔵とのコンビで、明朗時代劇の形成と定着、さらに伊丹万作のナンセンス時代劇にも貢献、千恵プロ1本目の名作といわれる1928『天下太平記』、『放浪三昧』(現存する最古の千恵プロ映画)、「源氏小僧シリーズ」の1本目『源氏小僧』、『絵本武者修業』、『諧謔三浪士』(現存含む2本)、『一心太助』(現存2の3本)、

『伊達ばやり』(現存2)の3本、「國定忠治3部作」(現存含む4本)、『元禄十三年』、股旅物の代表作『弥太郎笠』の前後編や名作『瞼の母』(現存含む2本)、『一本刀土俵入』、のちの大河ドラマにも影響の戦国物『独眼龍政宗』(現存含む2本)大ヒット「千恵蔵版宮本武蔵シリーズ」(イナカンコンビは総集編や改修版含め通算8本)など多くの名作や秀作を残しました。事実上時代劇を形成したコンビの一つで、日本映画上位に成功を収めた名コンビです。



千恵蔵映画だけでも実に多彩な時代劇を展開し、イナカンと千恵蔵は50本を越す大コンビで、30本ほどの高評価作品があったとも言われます。またその映画は明朗、知的、人情、風刺、侠客、歌舞伎風刺、オールスター、前衛的や左翼的なものなど実に多彩でした。

*50本を越す大コンビは改修や断片も含む

歴代の50本コンビとしては、山田洋次と渥美清のコンビはほぼ1つの題材「男がつらいよ」でしたが、この2人は実に多彩な題材で成功、この多彩な題材の明確な成功数は、日本最初のゴールデンコンビの牧野省三と尾上松之助のコンビさえも越し、歴代1位といえます。

*本数は膨大だが、牧野省三と尾上松之助のコンビの明確な成功の題材はあまり多くない


千恵蔵の「森の石松」の多面性演技も機能している戦中の名作『東海水滸伝』、改修改題は『東海二十八人衆 東海水滸伝改修版』も高く評価しています。この映画は1945年の7月の日本がもっとも苦しい時期の戦中末期(終戦は1945年8月)に初回公開された時代劇、名作るため、『東海水滸伝』から戦後に再公開され、視聴可能な『東海二十八人衆 東海水滸伝改修版』(東海二十八人衆)は劇中に追加された場面があったように考えられます。


明朗時代劇 伊丹万作 ナンセンス時代劇 山田洋次 渥美清 男がつらいよ

天下太平記 放浪三昧 現存する最古の千恵プロ映画 源氏小僧シリーズ 源氏小僧 絵本武者修業 諧謔三浪士 一心太助


伊達ばやり 國定忠治 元禄十三年  弥太郎笠 瞼の母 

一本刀土俵入 大河ドラマ 独眼龍政宗 宮本武蔵 千恵蔵版宮本武蔵シリーズ




森の石松ー島津亜矢

演歌歌手の島津亜矢が「森の石松」を歌っています。日本の時代劇題材の中でも柳生十兵衛や伊達政宗などと並ぶ、有名な片目の有名人物の一人、喧嘩早いが一途で、馬鹿まじめに描かれることがある、森の石松という人物を伝えています。


島津亜矢 森の石松

柳生十兵衛 伊達政宗





数十年高い人気を誇った森の石松の題材 千恵蔵と錦之助先輩後輩リレーの森の石松①






森の石松の題材は懇談と映画は戦前から大きな人気を誇りました。講談と関連する形で映画が作られてきた歴史も強いと考えられますが、映画として原作の伴う時代劇も複数製作され、大衆的な支持を集めてきました。



東海二十八人衆(東海水滸伝改修版)』 は侠客物、清水次郎長の題材、森の石松の題材でもあり、人気のある次郎長の子分の森の石松を主軸にした名作で、森の石松の様々な演技や場面を拾っています。森の石松は不器用だが、周囲から愛されたキャラクターとして描かれることが多く、この映画でも酒と喧嘩っぱやく、融通が利かない人物、親分(上司)への人一倍の忠誠心と絆が強い人物として描かれています。



歴代の数十名の映画スターが演じた中で、主演において有名なのは、千恵蔵、錦之助の国民的な花形中の花形が強く、

片岡千恵蔵は戦前から戦後に森の石松を4度(事実上、森の石松を映画に定着と名作)、中村錦之助(萬屋錦之助)は戦後に主演と助演で3度(千恵蔵の流れを受けて最盛期に貢献)演じました。また、美空ひばりの主演映画上位代表作と評価される1960年『ひばりの森の石松』(巨匠沢島忠、宝塚の影響もあるが、歌手・女優が男性の森の石松を演じた)や、

現代劇俳優の藤田進の『森の石松(1949)』(巨匠吉村公三郎が監督)はキネマ旬報ベスト10にランクインを果たし、主演の本人の演技はある程度ながら、人間的な一面を描き、現代的と左翼的要素から作品自体が高く評価されました。


中村錦之助(のちの萬屋錦之介)は戦後デビューの時代劇を代表する映画スター、時代劇スターで、主演は110本強、本数は千恵蔵の3分の1ですが、映画とテレビ時代劇で多くの代表作を残し、片岡千恵蔵の多くの代表的な役も演じた東映時代の直属の後輩俳優で、戦後の時代劇映画のみで主演100本の大台を越しました。今後はほぼ困難な記録といえるでしょう。


藤田進 森の石松(1949) 吉村公三郎 キネマ旬報ベスト10 ひばりの森の石松 美空ひばり

中村錦之助 萬屋錦之介




片岡千恵蔵の森の石松 約18年4作(1940~1957) 4本とも主演

1940『続清水港』  日活京都  監督は巨匠マキノ雅弘 演習家石田勝彦、森の石松の2役を演じ主演 広沢虎造や沢村国太郎、元宝塚の大女優の轟夕起子が主要 タイムスリップ要素や浪曲や歌を取り入れ、高く評価された。
1945『東海水滸伝』  大映京都 監督はW巨匠伊藤大輔と稲垣浩 石松は全体的に主演として描かれる 終盤に清水次郎長メインに流れとなる 
1952『東海二十八人衆(東海水滸伝改修版)』 大映京都   監督はW巨匠伊藤大輔と稲垣浩 
1957『清水港代参夢道中』  監督は巨匠マキノ雅弘 *『続清水港』の改修改題作で1957年(昭和32年)3月8日に再公開された。




4本とも名作の千恵蔵の森の石松です。そこそこな観客動員も記録したと考えられ、もっとも映画名作が多い森の石松といえます。



続清水港 東海水滸伝 東海二十八人衆(東海水滸伝改修版) 清水港代参夢道中 演習家石田勝彦 沢村国太郎 轟夕起子

伊藤大輔 マキノ雅弘





名作『続清水港』 の森の石松(片岡千恵蔵)と江戸っ子(広沢虎造)の「石松三十石船」場面






個人的にも録画している映画ですが、これは『続清水港』 の1場面です。森の石松(片岡千恵蔵)と江戸っ子(広沢虎造)で、有名な船の名場面を展開しています。




ほんとうはアップロードはやめてほしいところですが、1場面なのでまだ許せます。録画している『続清水港』 はハイビジョン画質版もありますが、この動画の画質は標準画質版のようで、画質は期待しないでください。両名の名演技の雰囲気を感じてもらう価値があります。


江戸っ子 広沢虎造





数十年高い人気を誇った森の石松の題材 千恵蔵と錦之助先輩後輩リレーの森の石松②






中村錦之助の森の石松を3番手位置で演じた、東映オールスター映画『任侠清水港』は、大手6社時代の500本ほどの日本映画のもっとも高い競争力の中で、2000万人近い観客を動員し、1作でもっとも多い観客動員を記録した森の石松は錦之助の石松です。他の2本をあわせ、全3本としても通産でもっとも観客動員を記録した森の石松といえます。




中村錦之助の森の石松 2本主演 1本助演の主要 約4年3作

1958『清水港の名物男 遠州森の石松』  東映京都  監督は巨匠マキノ雅弘 多数の次郎長映画で有名な村上元三の原作
1957『任侠清水港』  東映京都   監督は巨匠松田定次 最盛期の日本映画で観客動員と興行収入は年間1位を記録 片岡千恵蔵が主演の清水次郎長を演じ、当り役の一つとなった。錦之助の森の石松は市川右太衛門に次ぐ、3番手的位置に納まり、主要の出演
1960.『森の石松鬼より怖い』  東映京都   監督は巨匠沢島忠 石松と新進演出家の石井の2役 片岡千恵蔵の戦前の名作主演「続清水港」の事実上のリメイク 鶴田浩二が小松村の七五郎を演じ、戦後の日本映画を代表する2大スターで見え場を展開した。




清水港の名物男 遠州森の石松 村上元三

任侠清水港 松田定次 市川右太衛門 森の石松鬼より怖い 沢島忠 鶴田浩二 小松村の七五郎



実は片岡千恵蔵と中村錦之助の石松の映画の監督は、マキノ雅弘、伊藤大輔と稲垣浩、松田定次、沢島忠の全てが時代劇の巨匠の5名です。特にマキノ雅弘、伊藤大輔、稲垣浩、松田定次の4名は日本映画上位の大巨匠です。


新進演出家の石井






長門裕之の子役時代の好演も光る千恵蔵映画の名作『東海二十八人衆 東海水滸伝改修版』







個人的に20度以上観直している名作『東海二十八人衆 東海水滸伝改修版』は、歴代の主演俳優の片岡千恵蔵の魅力のある幅の広い演技場面を上手に引き出しています。気持ちのメリハリ、しゃべりの落差、部分的違和感の定着とそこから生じる共感性、映像展開としても、千恵蔵らしい重めの動きも上手に機能させています。


名女優の花柳小菊が演じる幼馴染のおりきとの再会、デレからの幼いときの回想、別れの盆踊り、江戸ッ子の藤原鶏太(のちに改名し藤原釜足)との船の上の「寿司を食いねえ」、「神田の生まれだ」の船の上のやり取り、市川右太衛門演じる地元の兄貴分の小松七五郎(=小松村七五郎、小松村の七五郎など多くの映画の役名)との、逆情の怒鳴りから涙の自虐の「馬鹿は死なきゃ治おらねえ」の名セリフ名場面の描写、回想シーンで石松の幼少期を演じている沢村アキヲ(のちの名優の長門裕之)もよい味を出しています。



花柳小菊 藤原鶏太 藤原釜足 小松七五郎


寿司を食いねえ 神田の生まれだ 馬鹿は死なきゃ治おらねえ 沢村アキヲ 長門裕之




出演している多くの名優の中でも、個人的には片岡千恵蔵の森の石松と、阪東妻三郎の清水次郎長のこの2名を高く評価しています。次に花柳小菊のおりき、この金比代参エピソードの有名な悪役キャラクターの都鳥吉兵衛の遠山満の名演技をしていると評価しています。市川右太衛門の小松村七五郎は仲介的サブの描かれ方のように感じられ、石松と次郎長をつなぎ、バランスをとる機能性を任されていると考え、右太衛門の魅力は千恵蔵と阪妻に比べるとかなり弱めに定着しているように捉えています。


阪東妻三郎 都鳥吉兵衛 遠山満 金比代参



次郎長は刀を封印しているため、自分は刀を抜かない、殺陣を行わない見せ場も描かれています。阪妻が剣戟王とも言われた俳優でもあるため、物足りなく感じてしまいがちですが、あえてやらないことに意味もある映画だと思えます。






石松三十石船 / 二代目 広沢虎造


個人的にも高く評価している人物、有名な広沢虎造(二代目 広沢虎造)の「石松三十石船」の講談 戦前の優れた語りの日本の芸能を伝えています。外国にはない残すべき、独自な日本の芸能の魅力があります。



石松三十石船



また、時代劇音楽の先駆者ともされる大音楽家の西梧郎(時代劇映画で最初に膨大な代表作を残した伝説的音楽家、名作数十本の音楽を担当、のちの時代劇、アニメやゲーム音楽へも影響)の曲が、上手にいつくかの場面で機能しています。冒頭の場面と石松とのおりきの回想シーン、次郎長と七五郎や次郎長の子分らの股旅シーンを特に評価しています。また、次郎長が参加しない殺陣シーン曲も悪くはありません。

西梧郎

撮影は宮川一夫と石本秀雄、宮川一夫は言うまでも無いですが、石本秀雄は千恵プロや日活で多くの名作、戦後は松竹時代劇ナンバーワン撮影者として知られ、長年にわたり活躍しました、個人的には日本映画の撮影者ベスト5に含まれるのがこの両名です。その5名のうちの5名が共同撮影という奇跡も作品に華を添えています。

マスコミは宮川一夫の名前は多く出ますが、石本秀雄の存在もしっかりと伝えいく必要性を感じています。


宮川一夫 石本秀雄


実は最初にこの映画を視聴したときは石松亡き後の終盤の殺陣シーンは無くてもよいのではないかと思ってしまったのですが、何度も見直すうちにこれはこれで意味がある、価値があるのだと思えてきました。何度か見なすうちに別な場面が刺さるようになる、稲垣浩と伊藤大輔の2大巨匠の共同監督の凄さというものを感じさせます。






いつの間にか『東海二十八人衆 東海水滸伝改修版』は『東海二十八人衆』の題名で商品化されていた




断片や現存含め映画250本ほどに出演、主演200本ほどを記録した、男性的な個性と剣戟時代劇で国民的評価を受け、日本映画を代表する映画スターの一人の阪東妻三郎、その彼の男性的で力強い立ち姿が特徴的です。

最近発売されたため、最近の日本映画のカテゴリーにしています。




東海二十八人衆(東海水滸伝) [DVD]



視聴できるのは『東海二十八人衆 東海水滸伝改修版』ですが、『東海二十八人衆』の題名で商品化されているこのバージョンのみ、何故か阪東妻三郎の写真と名前のみを押し出しています。

阪東妻三郎の名前のみ表記は、個人的には理解に苦しむやり方です。何故なら出番は千恵蔵の森の石松に次ぐ事実上の2番目、同時に見せ場数も2番目と判断しているため、劇中のオープニング表記は右から千恵蔵、右太衛門、阪妻の阪妻は3番手表記のですが、大映の著作権を買収したKADOKAWA(カドカワ)が、後付けでいじくってしまいました。これは問題に感じられます。

KADOKAWA カドカワ

実はこの映画の公開当時の現存するポスターは千恵蔵、右太衛門、阪妻の三大スターを3名とも押し出しています。


劇中の表記は視聴しているCS放送の録画版だと『東海二十八人衆 東海水滸伝改修版』ですが、製品タイトルはわかりやすく『東海二十八人衆』にしているようです。




清水次郎長題材やその内部題材でもある森の石松題材は、日本映画にとっても非常に重要なもので、流行のみのたかが好き嫌いという低レベルな文化ではありません。日本人の創作や文化を伝える重要なものです。








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2021/10/15 08:48 | 超大物俳優COMMENT(3)TRACKBACK(0)  

監督100本の巨匠候補最年少「荻原」(オギワラ)か「萩原」(ハギワラ) 梶原金八メンバー8名の天下無敵平々凡々




監督100本の巨匠候補最年少「荻原」(オギワラ)か「萩原」(ハギワラ) 梶原金八メンバー8名の天下無敵平々凡々






突然ですが、「荻原」(オギワラ)と「萩原」(ハギワラ)って読み間違えやすいものですが、今回の記事に係わり合いがあります。


日本映画を語る上で多大な影響を残した梶原金八やその鳴滝組や個々のメンバーたち、さらに知られざる巨匠の可能性についても迫ります。




前回 3人の天皇巨匠と黒澤明自殺未遂事件大タブー 「鳴滝組」経由の「四騎の会」解散ど~ですか伝




荻原と萩原





三村伸太郎、藤井滋司、滝沢英輔稲垣浩山中貞雄、鈴木桃作、萩原遼の8名




まずは三村伸太郎、藤井滋司、滝沢英輔稲垣浩山中貞雄、鈴木桃作、萩原遼の8名の大まかな実積に迫ります。





梶原金八八尋不二三村伸太郎、藤井滋司、滝沢英輔稲垣浩山中貞雄、鈴木桃作、萩原遼の8名


八尋不二=世界最多ともいえる500以上とも言われる映画シナリオを手掛け、時代劇映画を代表する名脚本家、同時に日本映画を代表する脚本家、大映時代劇映画のナンバーワン脚本家、代表的映画は歴代最多、映画脚本家歴代最多100本以上のヒット作、原作70以上、日本の映画人初の生涯功労賞の牧野省三賞を脚本家初受賞、事実上のナンバーワン脚本家とも言われる。


牧野省三賞


稲垣浩=日本映画を代表する巨匠、時代劇を代表する巨匠、時代劇四大巨匠、監督数140強、脚本100弱、原作20弱、制作13、前衛系と娯楽系で数十年多様に成功、監督前は20本ほどの助演俳優としても活動、時代劇映画監督の歴代上位数選の数十本の名作、時代劇の形成と時代劇映画の黄金期を牽引した監督の一人、

特に戦前の片岡千恵蔵の盟友コンビで多彩に成功を収め、戦後は大映を離れてから、東宝時代劇映画のナンバーワン監督を1960年代まで牽引、「天皇」とも言われる。代表的作品は70本越えの驚異の的中率。映画人の生涯功労賞の牧野省三賞も映画監督6人目で受賞



*本数はペンネームの藤木弓と藤木九を含む、生前の巨匠沢島忠などが証言からも「天皇」と言われていた。監督数140強、脚本100弱、原作20弱、制作13は改修版や総集篇、断片版も含んだ数です。


三村伸太郎=時代劇映画、日本映画歴代ベスト10級の実積を残した名脚本家、脚本110以上、原作40以上、特に戦前戦中に活躍し数十の代表的作品、1930年代中心に稲垣浩山中貞雄とコンビを組み、複数の代表作や多くのヒット。通産250本以上存在する股旅映画の定着にも貢献、戦後は千恵蔵の1955『血槍富士』以外は突き抜けた代表作がなく比較的苦しむ晩年を過ごす。



血槍富士


山中貞雄=名監督、名脚本家、名原作者としても3路線成功。本数は少なめや実働は短いが脅威の的中率から後年の評価が高く、事実上の巨匠とも言われる。嵐寛寿郎の寛プロのデビュー後、戦前に10本を越す名作、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、大河内傳次郎、前進座系など名作を残す。人柄は先輩たちや周囲に可愛がられ、人柄はマスコット的存在だったと言われるが、高い才能を惜しまれながら戦地で病死。

寛プロ 嵐寛寿郎


滝沢英輔=80本を越す映像化系映画の巨匠、時代劇と現代劇の長期間成功、戦後は日活の現代劇監督、戦前から多くのヒット作に関与、特に1940年代の長谷川一夫の「伊那の勘太郎」は数百万人の大ヒット、映画最盛期の1950年代後半の石原裕次郎の「世界を賭ける恋」「あじさいの歌」が1000万人を越す年間上位の大ヒット

長谷川一夫 石原裕次郎 伊那の勘太郎 世界を賭ける恋 あじさいの歌


萩原遼=(萩原はハギワラ読み)、時代劇の名匠、事実上の巨匠の一人、時代劇中心に100本ほどの映画を手掛ける。特に大スター片岡千恵蔵、中村錦之助、東千代之介の3名で成功、多く手掛ける。監督としては戦前から本数を積んでいたが、千恵蔵の初代金田一耕助の「獄門島」(監督松田定次)の助監督を務め、

監督だと1950年代前半に千恵蔵の「遠山の金さん」、「忠臣蔵」、「新選組」の国民的三題材がヒット、これら合わせて最低でも1000万人は越していたと考えられ、さらに錦之助と千代之介「新諸国物語 紅孔雀」が5本1000万人を軽く越す爆発的大ヒットを記録、その後の再公開を含めるとさらに上回るものとも言われる。日本映画の最盛期の流れに大きく貢献、だが数年後の1955年以降の映画最盛期に比較的低迷し、東映を離れてピンク映画も手掛けました。総合的には映像化系映画(プログラムピクチャー)の名手とされている。

初代金田一耕助 獄門島 遠山の金さん 忠臣蔵 新選組 錦之助ト千代之介 新諸国物語 紅孔雀 ピンク映画


藤井滋司=残念ながら活躍は乏しく、脚本家の数も少ない 鳴滝組の梶原金八のメンバーとしてのみ知られる。
鈴木桃作=残念ながら活躍は乏しく、監督としては代表作なし 梶原金八のメンバーとしてのみ知られる。



三村伸太郎 藤井滋司 滝沢英輔 稲垣浩 山中貞雄

鈴木桃作 萩原遼








2大俳優 現存する『丹下左膳余話 百万両の壺』と幻の映画の千恵プロのオールスターキャストの1936『荒木又右衛門(1936)』に萩原遼の姿





萩原遼は鳴滝組のメンバーの中で最年少でした。それゆえに多くの面で期待されていた部分も多くあったのかもしれません。デビューの数本は先輩の脚本や原作の元で監督をしており、初期は先輩たち7名から、大切に育てられていた、守られていたともいえます、。

大河内傳次郎主演、1935年の名作『丹下左膳余話 百万両の壺』などで助監督(脚色と潤色は三神三太郎、監督と構成は山中貞雄と鳴滝組メンバーの3名が参加)、監督デビューは1936『お茶づけ侍』(日活=太奏発声、原作山中貞雄、千恵プロの1932『国士無双』で助演ブレイクした高勢実乗が主演)です。


丹下左膳余話 百万両の壺 お茶づけ侍 国士無双 高勢実乗




丹下左膳余話 百万両の壺


戦後も関与する世話になる片岡千恵蔵の千恵プロの事実上のオールスターキャストの1936『荒木又右衛門(1936)は脚色と原作は梶原金八の表記、主演の千恵蔵の荒木又右衛門、助演の上位の月形龍之介が河合甚左衛門、原健作が河合又五郎、瀬川路三郎が渡辺靭負、尾上華丈が河合半兵衛、葛木香一が池田忠与、日本映画史上の六大名優が集結。

なんとこの6名で約映画2500本、個人プロ異例の12名以上の名優が共演)をデビュー2本目で監督、信頼の高い待遇でした。


荒木又右衛門(1936) 荒木又右衛門

月形龍之介 河合甚左衛門 原健作 河合又五郎 瀬川路三郎 渡辺靭負 尾上華丈 河合半兵衛 葛木香一 池田忠与



この千恵蔵主演の幻の映画『荒木又右衛門(1936)』は1分尺の断片版が現存しています。荒木又右衛門は三大仇討ちの一つ「鍵屋の辻の決闘 」として知られる時代劇の有名題材の主要人物、数十の作品で主人公として描かれ、戦前から人気がある題材で、映画やドラマなど数十名の時代劇スターが演じています。110年のほどの時代劇としても、上位30選圏内に含まれる有名題材ともいえます。

その後は東宝を経て大河内傳次郎の1938年『清水の次郎長(1938)』(東宝を代表する脚本家の脚色八住利雄)や1940年は大河内傳次郎主演の『新篇 丹下左膳 恋車の巻』、その前年の前進座時代劇の1939『その前夜』(脚色梶原金八、原案山中貞雄)も手掛け上記の梶原金八=の萩原の部分へ続きます。

*八住利雄は八尋不二の弟子としても知られていますが、1938年『清水の次郎長』で同じ鳴滝組のメンバーの関連者、八尋不二の関係者の八住利雄の脚本と監督の関係で製作に関与する不思議な縁が生まれています。


清水の次郎長(1938) 八住利雄 新篇 丹下左膳 恋車の巻 その前夜






監督数約100本の映像化の名手の萩原遼を巨匠と捉えるべきなのか






萩原遼を巨匠と捉えるかは、映像化監督の要素も強く、意見が分かれるところですが、御大片岡千恵蔵は数本の助監督含め20本近く、中村錦之助は19本、東千代之介の16本と時代劇三大スターへ大きな貢献、新諸国物語は8本監督、通産100本の映画を手掛けているところからも十分評価に値する存在だと考えられます。

通産観客動員は軽く5000万人以上を記録していたと考えられ、日本映画監督史上歴代30選ほどに含まれると考えられ、大衆的には十分巨匠ですが、100本ほどの通産本数からすると名作本数少な目のように感じますが、秀作は最低でも30本以上といえます。これも歴代30選に含まれる範囲で、比較的上位だといえます。まず30本さえ監督数がない人物が多数いますから、


彼は鳴滝組の8名中の上位6名のレジェンド級のなかで、もっとも知名度が低いようのも思えますが、今後知っていただきたい過去の名監督の一人です。



片岡千恵蔵 中村錦之助 東千代之介


個人的には『続赤穂城』を評価しています。戦後最初の忠臣蔵本伝を描いて、忠臣蔵俳優とも称される千恵蔵の当り役の一つとなる、初の大石内蔵之助の好演、初期の東映オールスターとして成功した『赤穂城』と『続赤穂城』、


赤穂城 続赤穂城 大石内蔵之助


続赤穂城』の終盤は開城が描かれますが、千恵蔵の大石が開城の見聞役たち、特に荒木十郎右衛門(河部五郎)と榊原采女(寺島貢)と対し、意見をぶつけあわせ、あらがいながら廊下外へと向う流れ、千恵蔵の大石の顔のアップから顔の逸らしと相乗した、「苦楽を共にして~」の台詞との映像展開の噛み合い、そして十八番のスピードと音量、音程の強弱を駆使した名口上演技、

さらに後の場面の開城後の橋の上の元赤穂領民とのやりとりは、『続赤穂城』の上位の名場面といえます。

やはり俳優の魅力を引き出すのが上手な時代劇専門の娯楽監督の一人だと捉えていえますが、それは表現が難しいですが、松田定次などとは違うおさめ方を感じさせます。



*映画の劇中の表記は荒木十郎右衛門は荒木十郎右ェ門、榊原采女(うねめ)は榊原政殊 (さかきばらまさよし)でも知られる。

荒木十郎右衛門 榊原采女 榊原政殊 荒木十郎右ェ門




河部五郎=日活の主演俳優で主演60本強を記録(50ではない)、浅香恵之助を演じた「修羅八荒」(1~6編)の4本などで、高い人気を経て、一時的に大河内傳次郎と競い合い、1920年代の時代劇映画を上位で支えたが、時代劇六大スターや後輩主演俳優に大敗し、主演契約を切られ助演に転身

「忠臣蔵」題材や「宮本武蔵シリーズ」などの千恵蔵映画やバンツマ映画などの20本を越す名作、嵐寛寿郎の「鞍馬天狗シリーズ」などに出演し、助演でも高い評価を得る、戦後も東映時代劇映画の端役で知られる名優、200本強の映画に出演、『続赤穂城』においては大石と温情をもって対する荒木役を好演しています。特に戦前から戦中に掛けて活躍した時代劇を代表する名優の一人です。


寺島貢=貢はみつぐ読み、1920年代後半から大河内傳次郎などの日活の助演俳優を経て、新興キネマ、バンツマや千恵蔵などの大映の脇役、東映にも少数出演 主な貢献作品は、大映1回作品の1942『維新の曲』や1943『決闘般若坂』(千恵蔵の宮本武蔵)、1945『東海水滸伝』(のちに東海十八人衆)など膨大数。『続赤穂城』においては大石に辛く当たる榊原役を好演しています。

両者とも見聞役の同じ立場は保ちつつ、心情の立場の違いを出していき、声色のバランスを大石と共に構成しています。歴代の多くの時代劇映画を観ていますが、非常に高度な演技だと考えられます。


1950年代以降の大映時代の最盛期は、市川雷蔵や勝新太郎などの10番手以下の端役、改修など含むと310本以上の映画に出演の名優、なまり癖や高音気味のしゃべり方が特徴




松田定次
河部五郎 寺島貢

浅香恵之助 修羅八荒



*赤穂城三部作とも称され、1本目『赤穂城』と2本目『続赤穂城』の監督は萩原遼ですが、完結篇『女間者秘聞 赤穂浪士』は最盛期の東映ナンバー2とも言われた佐々木康です。佐々木康は日本映画の監督歴代上位の生涯観客動員数を記録した娯楽映画中心の巨匠です。


8名の中でも特に八尋不二と稲垣浩は、日本歴代上位の映画人の中でも簡単に実積を扱うことがもっとも難しいクラスの大レジェンドです。多彩さと大規模な影響や貢献があり、簡単に伝えるのはほぼ不可能です。


女間者秘聞 赤穂浪士 佐々木康


千恵プロ時代―片岡千恵蔵・伊丹万作・稲垣浩 洒脱にエンターテイメント (映画読本)

伝説の千恵プロなければ、巨匠稲垣浩がいない、鳴滝組もイマイチで終り、萩原監督と千恵蔵の20本コンビもなく、それは同時に萩原監督の活躍もなかったことを意味しています。一人の巨匠かもしれない100本監督の彼は存在しない可能性も高まります。




特に稲垣浩と八尋不二は大レジェンドといえますし、三村伸太郎滝沢英輔、山中貞雄、萩原遼のレジェンド級の活躍をしました。


梶原金八メンバー8名は天下無敵の歴代上位映画製作者と、失礼ながら平々凡々といえる2名の組み合わせだからこそ、成立できたのかもしれません。





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2021/10/01 20:07 | 邦画の探求COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

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