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「多様性の超鬼」 140作90年の国民的映画次郎長27作の墓標



今回は「多様性の超鬼」 140作90年の国民的映画次郎長27作の墓標と題して、マキノ雅弘伝として今回を含めて3回に分けて公開することになりました。今回が一時的にその最後を飾ります。彼は何度かで取り上げられるような人物ではありませんので再びどこかで時間を空けて取り上げようと考えています。







テレビやマスコミがきちんと取り上げない日本映画や日本を代表する映像作品の次郎長映画






次郎長映画(清水次郎長映画)は1910年代から2000年代まで90年ほどの長きにわたり、日本映画史上の歴代上位の140作以上の映画(助演で登場するもの含める)が作られ、テレビ時代劇でも数十の作品が存在しています。この時点で日本映画や日本を代表する映像作品のひとつです。マキノ雅弘の次郎長映画は母親違いの兄弟の松田定次に観客動員は劣りますが、多くの面でこの題材でもっとも活躍した監督といえるでしょう。ちなみに「多様性の超鬼」 は多彩に深く功績を残した映画監督のマキノ雅弘のこと、墓標は清水次郎長は侠客なのでこのフレーズで表現しています。



マキノ雅弘は時代劇(映画⇒映画、テレビドラマ、アニメ、漫画やゲームへ影響)を形成した監督の一人としても有名です。

時代劇を形成した中心監督はほかに伊藤大輔、稲垣浩、衣笠貞之助がいます。伊藤大輔は大スター大河内傳次郎とコンビを組み、いわゆる丹下左膳のアウトローものや国定忠治などの侠客時代劇、傾向時代劇などを形成、稲垣浩は大スター片岡千恵蔵とのコンビで多彩な題材で明朗時代劇(戦後の繁栄を極めた東映の時代劇映画やテレビの娯楽時代劇に大きく影響)、宮本武蔵の原作を重んじたストーリーが伴う時代劇(大河ドラマなど)の形成に大きく、衣笠貞之助は大スター長谷川一夫(松竹時代は林長二郎の名義)とのコンビで松竹の歌舞伎との関りを反映させた、様式的な要素が強く伴う時代劇を定着、そしてマキノ雅弘です。





マキノ雅弘は上記リンクのように大スター片岡千恵蔵の特に戦前に大きく貢献し、オペレッタ時代劇を形成と浪人題材の時代劇の事実上の形成、そして次郎長題材の時代劇としての定着も大きな功績といえるでしょう。





マキノ雅弘と清水次郎長映画、次郎長映画





マキノ雅弘と清水次郎長映画、次郎長映画  34年27作 ★は特に代表的なもの

☆1931『幕末風雲記 堀新兵衛の巻 新門辰五郎の巻 清水次郎長の巻』  マキノプロ
  監督はマキノ正博(マキノ雅弘の当時の名義)、稲葉蛟児、久保為義とあり、3名が3つの話で監督分けしていたようであり、順番だと久保為義の可能性、マキノ雅弘の最初の次郎長映画監督作、清水次郎長の巻を監督したかは不明、同じ作品で監督をする関与はしているため、今回はカウントに数えている。出演は市川米十郎、松葉文子、荒木忍、桂武男、南光明、泉清子とあり、順番だと3つ目の「清水次郎長の巻」はマキノ雅弘の職とも深く関与している映画スターの南光明が次郎長を演じた可能性が高い。
☆1936『次郎長裸旅』  マキノトーキー   
  葉山純之輔 光岡竜三郎 原駒子の出演 マキノトーキーはマキノ雅弘の映画会社、通産活動は助演が多かった葉山純之輔が次郎長だと考えられる。マキノ  トーキーで共に活動した久保為義と共同監督
★1939『清水港』  日活京都    
  主演は政吉で片岡千恵蔵 助演で次郎長は月形龍之介
★1940『続清水港』  日活京都     
  主演は石田勝彦と森の石松の2役で片岡千恵蔵 助演で次郎長は小川隆
☆1946『粋な風来坊』  松竹京都     
  主演は佐野周二、次郎長の息子を山内明、助演の次郎長(クレジットは山本長五郎)は笠智衆

★1952『次郎長三国志 第一部 次郎長売出す』  東宝    清水次郎長は小堀明男 集団時代劇の形成にも大きく貢献
★1953『次郎長三国志 第二部 次郎長初旅』  東宝
★1953『次郎長三国志 第三部 次郎長と石松』  東宝
★1953『次郎長三国志 第四部 勢揃い清水港』  東宝
★1953.『次郎長三国志 第五部 殴込み甲州路』  東宝
10
★1953『次郎長三国志 第六部 旅がらす次郎長一家』  東宝
★1954『次郎長三国志 第七部 初祝い清水港』  東宝
★1954『次郎長三国志 第八部 海道一の暴れん坊』  東宝 
森繁久彌(森繁久弥)の森の石松をメインに押し出す。
★1954『次郎長三国志 第九部 荒神山』 東宝  
  若原雅夫が演じる吉良の仁吉をメインに押し出す。東宝版次郎長三国志シリーズの完結編
☆1955『次郎長遊侠伝 秋葉の火祭り』  日活  
  主演の次郎長はマキノとの縁がある名優の河津清三郎、2番手の森繁久彌も当たり役の森の石松で再び出演
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☆1955『次郎長遊侠伝 天城鴉』  日活  
  河津清三郎、森繁久弥 戦前と戦後通じて日活4作目のマキノによる次郎長映画
★1956『清水港代参夢道中(続清水港改題、現存版 再公開) 
★1958『清水港の名物男 遠州森の石松』  東映京都   
  森の石松は中村錦之助  清水次郎長は助演で加賀邦男 次郎長三国志を部分アレンジ
1960『清水港に来た男』  東映京都   
  1939『清水港』をリメイク、主演の政吉を大川橋蔵 助演の清水次郎長を大河内傳次郎
☆1960『若き日の次郎長 東海の顔役』  東映京都   
  中村錦之助  千恵蔵は正月シリーズで円熟さで見せたが、若さ溢れる明朗娯楽時代劇として消化、妻役のお蝶(丘さとみ)の出   番が多い男女劇の要素も強めに取り入れたシリーズ
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☆1961『若き日の次郎長 東海一の若親分』  東映京都  中村錦之助
☆1962『若き日の次郎長 東海道のつむじ風』  東映京都   中村錦之助
  次郎長に歌謡要素を強く取り入れ、シリーズの名作
☆1962『次郎長と小天狗 殴り込み甲州路』  東映京都   
  当時若手の北大路欣也と東映若手のトップの中村錦之助(次郎長)のダブル主演
★1963『次郎長三国志』  東映京都  鶴田浩二  
  新東宝で「弥太郎笠」などで当たったマキノと鶴田浩二との久々のコンビが東映で実現、鶴田浩二の東映時代劇映画の最大に代表作となる。
★1963『続・次郎長三国志』  東映京都  鶴田浩二
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★1964『次郎長三国志 第三部』  東映京都  鶴田浩二
★1965『次郎長三国志 甲州路殴り込み』  東映京都   鶴田浩二  
  鶴田版シリーズとマキノ雅弘のラスト次郎長映画となる。
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マキノ雅弘は清水次郎長映画、または次郎長映画を生涯で27作(確実には26作)に関与、ほぼ監督しました。同じ題材で本数のみなら他にもいますが、彼が優れていることは多くの機会を経て監督していることでしょう。

この膨大な本数を成功させた注目すべき点の一つは日活時時代に片岡千恵蔵とコンビを組んだ『清水港』、『続清水港』の成功が大きかったといえるでしょう。この2作は姉妹作でありながら大きく攻めた斬新な次郎長映画であり、浪曲と次郎長、現代劇と時代劇の両方を描く次郎長、次郎長時代劇映画で最初のオールスター要素など深く切り込みました。この2作の戦前の成功がなければ、戦後の「次郎長三国志シリーズ」を監督することにならなかったことでしょう。


マキノ雅弘はもちろんですが、片岡千恵蔵はナンセンス時代劇から喜劇時代劇の影響や宮本武蔵などにおける宝塚女優の映画進出の大きな貢献だけではなく、この次郎長映画に関しても同様であり、間接的に東宝に大きな影響を与えています。





次郎長三国志 第七部 初祝い清水港
次郎長三国志 第七部 初祝い清水港


「次郎長三国志 第七部 初祝い清水港」のポスター基調のジャケットです。マキノ雅弘の凄さの一つはシリーズもので途中の1作のみを観ても楽しめるところといえるでしょうし、この『次郎長三国志 第七部 初祝い清水港』のみを観ても楽しめます。数記事前にまで取り上げていた沢村国太郎も出演、脇役の代表的な映画作品に含まれますし、元宝塚女優の越路吹雪や沢村国太郎と長門裕之の親子共演などもいくつかの魅力がありました。




新元号の2019年の10つ目の当たり役といはなんぞや 2019.2.3公開の裏側記事
新元号を彩る世界映画俳優史上歴代最多10つ目の当たり役








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2019/01/21 18:51 | 未(235記事)COMMENT(4)TRACKBACK(0)  

近藤勇を歴代で当たり役した男と日本歴代最高齢映画スターのベスト3に出現した高倉健?!



先日、2015年に公開された韓国映画の史劇を見ました。一言で言うと難点ばかり見えてくる内容でした。2016年に見た映画の中でもワースト10に含まれる内容でしたが、韓国の文化に触れるという点においてはちょっとした勉強にはなりました。

2転、3転のただの破天荒なエンタメ劇であり、雰囲気を軽視しためちゃくちゃなセリフと展開で全体のバランスに難があり、韓国特有の品格の薄い内容の連続、俳優や映像はそれほど悪いともいえないのですが、テレビドラマのような映画の意味が弱い作品でした。日本にもテレビドラマのような映画も多くありますが、いずれは取り上げたいと思います。

前回記事⇒篝火(かがりび)と新撰組の土方歳三、初めて映画の主演で演じた最高齢の映画スター


通産23年で8度目の近藤勇月形龍之介と「維新の篝火


月形龍之介近藤勇はすばらしかったです。近藤勇の現実のモノクロ写真が残されていますが、心なしか月形龍之介に似ています。生まれ変わりではないのかとも思えるほどハマリ役だと評価しています。出番的には土方歳三に焦点を当てている映画のため、最小限なシーンしかありませんでしたが、出番が少なくても存在感と重厚感が抜群ですね。高い評価をしています。やはり、戦前からの長期の盟友でもある片岡千恵蔵と1対1のシーンは見所でした。月形龍之介近藤勇は映画ではこの「維新の篝火」が8度目でした。(月形の近藤の内訳は主演1、助演7)

近藤勇を映画で歴代最多で演じた男・月形龍之介の全貌



月形龍之介近藤勇役で出演した映画たち>
8作 出演期間1938~1961年 23年 主演1助演7
1938「新撰組(1938)」  日活京都 役名=近藤勇 主演=月形龍之介
1952「新選組 京洛風雲の巻」  東映京都 近藤勇 主演=片岡千恵蔵
1952「新選組 池田屋騒動」  東映京都 近藤勇 主演=片岡千恵蔵
1952「新選組 魔剣乱舞」  東映京都 近藤勇 主演=片岡千恵蔵
1956「鞍馬天狗 第一話 白馬の密使」  東映京都 近藤勇 主演の鞍馬天狗=東千代之介
1957「鞍馬天狗 角兵衛獅子」  東映京都 近藤勇 鞍馬天狗=東千代之介
1957「鞍馬天狗 御用盗異聞」  東映京都 近藤勇 鞍馬天狗=東千代之介
1961「維新の篝火」  東映京都 近藤勇 主演の土方歳三片岡千恵蔵



最年長の専属の主演映画スターとベスト3


片岡千恵蔵(58歳=東映)は、「維新の篝火」の1961年の時点で、市川右太衛門(54歳=東映)と長谷川一夫(53歳=大映)よりも年齢が上であり、日本の歴代で特に戦後においては最年長の専属の主演で活躍する映画スターでした。

1964年までは片岡千恵蔵、市川右太衛門長谷川一夫の実積も上位、年齢もベスト3のベテラン映画スターが日本映画を牽引していました。片岡千恵蔵は戦前も含めて最高齢であり、歴代を含めても日本では1位です。この頃、片岡千恵蔵の戦前からのライバルで盟友の嵐寛寿郎は、すでに主演映画スターではなく、脇役俳優として活動していました。



片岡千恵蔵と高倉健の専属の映画スターとしての大きな差


比較で取り上げると高倉健が1970年代の中盤に東映と専属解約を切っていますが、その時はまだ40代でした。高倉健は専属の主演映画スターでしたが解約の時点で事実上、専属の映画スターではなくなりました。日本映画において専属の映画スターという概念が消えかけていたときです。それ以降の高倉健は映画出演数も急激に減少していきます。片岡千恵蔵は、120年の歴代を通じて最年長の専属の主演映画スターです。

日本の映画俳優の専属制度は1970年代に高倉健の世代を最後に事実上の消滅しているため、さらに高齢化が進んでもこの記録は破られそうにありません。この記録はまだ破られていません。というよりも日本の専属映画スターの概念は消滅しているのでこの記録は金字塔となっています。


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真の日本映画や本当の映画ファンなら月形龍之介の存在を強く感じられる書籍でした。現在なら余裕で文化勲章の該当する超名優・月形龍之介の実の息子で、東映の映画に多数で出演した月形哲之介による監修本。


裏も更新⇒国の暴挙と文化勲章に物申す。近代の都合がよい人間だけを評価している国の日本
ちょっと過激めですが、作風の違いとして許してください。
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2016/10/14 20:19 | 未(235記事)COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

マスコミやテレビが取り上げられない本当の歴代上位映画スター俳優たち数字を発掘

今回は「マスコミやテレビが取り上げられない本当の歴代上位映画スター俳優たちの数字を発掘」と題して進行させていきます。今回の記事内容には衝撃的部分が含まれている可能性がありますが、あらかじめ注意してご覧ください。

前回の記事⇒荒波と戦い続けた歴代映画スターたちの厳しい格差の現実とは!?

衝撃の事実判明、空前絶後のオールスター映画、維新の曲の時点の映画主演数の順位


実はこの「維新の曲」という映画の時点では、市川右太衛門がこの4名(阪東妻三郎片岡千恵蔵市川右太衛門嵐寛寿郎)の中では映画主演数がナンバーワンとなっています。阪東妻三郎片岡千恵蔵嵐寛寿郎はこの「維新の曲」(1942)の時点では映画の主演数では市川右太衛門に及ばない事実があります。

1942.05.14公開の維新の曲の時点の4名の映画主演数の順位(*1)

1位・市川右太衛門・主演175作、助演5作、出演180作
2位・片岡千恵蔵 ・主演161作、助演12作、出演175作、出演2(*2)
3位・嵐寛寿郎・主演148作、助演17作、出演166作、出演1
4位・阪東妻三郎・主演143作、助演50作、出演194作



*1・確認できる確認した映画のみ
*2・主、助に該当なしの映画(メイキング系)

ご存じない方には衝撃の事実かもしれません。阪東妻三郎はすでに数字では1位から転落している事実が存在しており、1942年のこの映画の時点では現役4位です。この辺は大きく重要な部分です。市川右太衛門は助演数が一番少ないのもすごいところです。一番少ない理由の一つとして以前の記事でも書いてますが、右太衛門はデビュー前からスターであったことも関係しています。ブレイクまでに助演時代が3年近くあった阪東妻三郎は助演数が圧倒的に多くなっています。

阪東妻三郎は本当にすごいのか??阪妻(バンツマ)衝撃の負の事実に迫る


上にデータを踏まえて、阪東妻三郎は本当にすごいのか??否かですが、阪東妻三郎はサイレント映画の時期(1930年代中盤まで)はこの4名の中で1位の主演数でした。阪妻はサイレント映画の時点では頭が一つ抜けていたのは事実といえます。ですがサイレント映画からトーキー映画(音声ありの映画)の時代に入ると、1930年代後半に市川右太衛門片岡千恵蔵に主演映画数が越されています。阪東妻三郎は嵐寛寿郎にも、この「維新の曲」の直前で主演作数が越されています。

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阪東妻三郎、による初期の主演代表作の1925年の「大呂血」や最近にスカパーでも放送されたの1924年公開の主演作「逆流」も収録。

そこには阪東妻三郎は知名度が先行しているだけでそこまですごくはない」という事実が存在しています。近年でいうフジテレビ(誇張など)と近いこともあったのではないかということもいえるかもしれません。阪東妻三郎の負の真実について、ご存知ない方も多いかと思います。なので今回は書いてみました。阪東妻三郎は一度越されてから、この3人に追いつくことはなく、越されたまま1950年代に映画人生と生涯を閉じています。

特に主演数では、阪東妻三郎と市川右太衛門や片岡千恵蔵と差は、戦後になるとさらに大きく広がっていきます。戦後の最終的には、阪東妻三郎はこの2名に確認できる限りでは、120作以上の映画主演数の大差をつけられてしまいます。もちろん阪東妻三郎は現実に歴代上位の映画スターであるのは事実ですが、マスコミなどはこのような事実をちゃんと取り上げるべきだと考えています。
つづく。

ドラとして書いているドラマブログ⇒映画とドラマに身を沈めたある名優の生涯(映画時代編)←映画でも活躍し、維新の曲にも出演している名脇役が登場しています。
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2015/10/25 18:12 | 未(235記事)COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

スター発掘、映画にまつわる生誕・没後・デビュー

2014年の有名な生誕・没後・デビューなどを振り返り,2015を本格的にスタートさせたいと思います。

・映画俳優・生誕
鶴田浩二 生誕90年
石原裕次郎 生誕80年(歌手兼任)
近衛十四郎 生誕100年
越路吹雪 生誕90年(歌手兼任)

・映画俳優・没後
市川雷蔵 没後45年
長谷川一夫 没後30年
大川橋蔵 没後30年
阪東妻三郎 没後60年
美空ひばり 没後25年(歌手メイン)


・映画俳優のデビュー
市川雷蔵 デビュー60年
チャップリン デビュー100年
(チャールズ・チャップリン・映画監督も)

映画監督
マキノ雅弘 没後20年

現役芸能人のデビュー

都はるみ デビュー50年
五木ひろし デビュー50年
西郷輝彦 デビュー50年
水前寺清子 デビュー50年
中村雅俊 デビュー40年

歌手・生誕・没後
テレサ・テン 生誕60年
他の生誕・没後
シェイクスピア 生誕450年(ウィリアム・シェイクスピア/劇作家など)
リスト 生誕200年(フランツ・リスト/作曲家
プッチーニ 没後90年(ジャコモ・プッチーニ/作曲家)
有吉佐和子 没後30年(作家)
~~~~~~~~~~~~~~~~

・映画関連の団体・事業など

日本映画製作 開始115年
男はつらいよ 開始45年

団体・事業など
宝塚歌劇 生誕100年
太平洋戦争 開戦100年
プロ野球 開始80年
天皇陛下 ご成婚55年
東京駅 開業100年
フジテレビ 開局55年
テレビ東京 開局55年
SKD活動 開始85年(松竹歌劇団)
ガンダムシリーズ 生誕35年 
など見かけたものや聞いたものだけ
マキノ雅弘・高倉健 BOX【初回生産限定】 [DVD]巨匠にして数多くの有名俳優を開花させた大巨匠のマキノ雅弘、高倉健もこの人に育てられたのです。

映画に関わりを持つ、特に大きいと思うのがやはり、「宝塚歌劇 生誕100年」です。映画の女優には宝塚を出た女優が多くいます。今のタレントがメインと化した芸能界にも、元宝塚が多く存在しています。去年の映画でも、元宝塚の女優を多く見かけています。宝塚歌劇は女が男を当たり前に演じるという、日本が世界に放てる数少ない文化や伝統であり、特色なので、今後も続けてほしいものです。

特集を多く見かけたのは、東映がらみの俳優たちです。CS放送の”東映チャンネル”でも特集が組まれていた映画俳優の「鶴田浩二 生誕90年」、「近衛十四郎 生誕100年」、「大川橋蔵 没後30年」大監督の「マキノ雅弘 没後20年」が印象に残ります。
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2015/01/12 21:45 | 未(235記事)COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

雷鳴のようにとどろいた伝説の俳優の隠された秘密を紐解く独自解釈

伝説の彼と彼女には、何かがあったのでしょうか?そう考えてしまうほどの相性のよさとは俳優同士にとって大切です。今回は彼と彼女について取り上げてみます。

市川雷蔵の特集は今回でラストとなります。その予定でしたが、膨大な文章量になり今回だけでは完結できません。3回目は映画愛子の独自な着眼点で研究してみました。雷蔵と、とある共演者について話してみます。市川雷蔵は戦後の日本の大スターの中でもっとも異色な大スターの俳優でした。

それは15年で共演した俳優の少なさにもあります。また、戦後の大スターの中で、主演の俳優やメインどころの俳優と共演した人数が一番に少ないのです。5社協定が可能にした部分も当然ありますが、突き抜けているので特出すべき特徴です。決して悪いことではなく、逆に珍しいということで、”個性と化している凄み”がこの点なのです。

雷蔵は、大映の映画専属俳優であった長谷川一夫勝新太郎山本富士子若尾文子黒川弥太郎などの主演やメインどころの代表する俳優と多く共演していましたが、とある女優とも共演が多いのです。
人肌孔雀」との姉妹作の「人肌牡丹」。2作とも雷蔵は、先輩の姉的な立場のスター女優であった山本富士子の相手役で準主役を勤めている。

嵯峨三智子という女優、ご存じでしょうか?すでに亡くなっています。いわずと知られたスター女優でした。しかし映画時代以降は映画にもドラマにも出演は控えて舞台の活動をメインとしていたのです。そのため活躍したほどの知名度がそこまでありません。嵯峨は、日本歴代で上位で入る大女優・山田五十鈴の娘で、80年代後半に母親よりも20年以上、先に亡くなり山田五十鈴は大いに悩み苦しんだといいます。

嵯峨三智子はトータルでは、松竹映画のスター女優でした。なぜならデビューした1953年の1年目は東映や東宝の映画にいくつか出演していました。2年目の1954年から1963年までの9年間は、松竹への出演が中心となりました。
そして、彼と彼女の運命の出会いが起こるのです。大映が雷蔵の相手役の女優を探した末、外部の女優ではあったものの、白羽の矢が刺さったのがこの人だったのです。雷蔵と嵯峨の共演は14作にのぼり、コンビが形成されました。詳しくは次回でさらに追求していきます。
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2014/08/27 18:28 | 未(235記事)COMMENT(1)TRACKBACK(0)  

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