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名匠・滝沢英輔の☆になった代表作を星で現代に伝えたい。

やはり、一番大きいのは戦国群盗伝です。ある意味、黒澤明の有名作である「七人の侍」などにも影響を与えている作品でもあります。1950年代に東宝でもリメイクされ1960年代にはドラマ版も作られました。わかりやすく言えば時代劇風に、村人が悪人たちにほどく苦しめられて・・・それを救済する人物が活躍するという内容で、以前に”滝沢から黒澤へ”という記事を書きましたがこの辺にも関連を持たせてもいます。今回は13つの☆で注目の代表作をセレクトしました。

滝沢英輔の主な代表作
~1930年代
○「アイスクリーム」1930 秋田伸一
○「真田十勇士」1931 南光明
○「大岡政談 十三夜見物侍」 1932 沢村国太郎
○「太閤記 藤吉郎走卒の巻」 1935 尾上栄五郎
☆「宮本武蔵 地の巻」 1936 (初の吉川英治の武蔵映像化) 嵐寛寿郎
☆「戦国群盗伝 前篇 虎狼」 1937 河原崎長十郎
☆「戦国群盗伝 後篇 暁の前進」 1937 河原崎長十郎
☆「戦国群盗伝(総集編)」 河原崎長十郎
☆「地熱 (1938)」 1938 藤井貢
○「武道千一夜」 1938 河原崎長十郎
☆「忠臣蔵 前篇」 1939 大河内伝次郎
○「太陽の都」1940 岡譲二
~1940年代
○「八十八年目の太陽」 1941 大日方伝
☆「梅里先生行状記 龍神剣」1941 (大河内の水戸黄門の1作目) 大河内伝次郎
☆「伊那の勘太郎」 1943 長谷川一夫
○「日本剣豪伝」 1945 大河内伝次郎
☆「おスミの持参金」 1947 若山セツ子
~1950年代
☆「国定忠治(1954)」 1954 辰巳柳太郎
☆「地獄の剣豪 平手造酒」1954  辰巳柳太郎
○「初姿丑松格子」1954 島田正吾
○「六人の暗殺者」1955 島田正吾
☆「江戸一寸の虫」1955 三国連太郎
☆「川上哲治物語 背番号16」 1957 川上哲治
☆「「廓」より 無法一代」 1957 三橋達也
○「絶唱(1958)」 1958 浅丘ルリ子
○「世界を賭ける恋」 1959 石原裕次郎
☆「あじさいの歌」 1960 石原裕次郎
~1960年代
○俺は死なないぜ 1961 和田浩治
☆新・男の紋章 度胸一番 1964(男の紋章シリーズ4) 高橋英樹
☆男の紋章 花と長脇差 1964(男の紋章シリーズ5) 高橋英樹
☆男の紋章 喧嘩街道 1965(男の紋章シリーズ7) 高橋英樹
☆男の紋章 流転の掟 1965(男の紋章シリーズ8) 高橋英樹


☆の1~3。「戦国群盗伝 前篇 虎狼」「戦国群盗伝 後篇 暁の前進」「戦国群盗伝(総集編)」。CS放送では「戦国群盗伝(総集編)」しか放送されていません。前後作も作品が現存しているのか不明ですが、ちゃんと放送してほしいものです。
前進座のスター俳優が多数出演した前進座時代劇に該当する1編である。
☆の4。それとやはり忠臣蔵の映画は監督してる事が大きい。「忠臣蔵 前篇」、忠臣蔵は有名な題材です。忠臣蔵にもスター俳優による違いや会社による作風の違い、視点やテーマ性や装飾性などの違いなどさまざまな内容が存在します。忠臣蔵は元の中核があるものに巷談(世間のうわさ話から生まれた要素)作者、製作者によって違いを付けることが許されているため、作品に応じて内容が多彩です。時代劇に詳しくない方に伝えたいのは、決して同じ内容ではありません。世界の歴代にも例がないほどの題材、それが忠臣蔵なのです。
☆の5の「おスミの持参金」は、若山セツ子の単独主演の代表作といわれている作品でこれもこの女優を語る作品として大きいです。若山セツ子といえば巨匠・マキノ雅弘の名作「次郎長三国志シリーズ(東宝版)」の清水の次郎長の妻のお蝶の役(出演は1~5作目、1952~53年)でも知られています。こちらで知ってる方も多いかと思います。
☆6は、忘れてはならないのがこの「国定忠治(1954)」です。映画スターではなく舞台俳優が主演した基本的な部分を極めた国定忠治の題材の映画です。当時、人気が高かった新国劇スターの俳優を起用した作品でいわゆる新国劇時代劇といわれ数が作られました。
和田浩治は1969年の「女の手配師 池袋の夜」を最後に主演から退いています。主演映画スター歴は10年でした。この作品は最後の主演作の次の出演作です。
☆7は、「川上哲治物語 背番号16」になります。日本のプロ野球の史上初の2000本安打の打者でも知られる大選手、監督では巨人で前人未到のV9を成し遂げた大人物の川上哲治。本人が出演しているメイキング要素も重要な作品であり資料です。全盛期に近いころの彼を映像や音声で知ることができます。実は今年プロ野球80周年なので、ここで取り上げるのも何かの縁かもしれません。
☆8は、三橋達也の日活時代の代表作の一つ「「廓」より 無法一代」 と石原裕次郎の☆9の「あじさいの歌」、高橋英樹の☆10~13は、「男の紋章シリーズ」からの4作になります。
少なく数えても全13作。○もふくめたら多いです。作風は現代劇に関しては良き映像化監督であったわけですが、運に恵まれていました。良い職人であったのだと思います。努力や映画に尽くしてきた職人は良い運をつかむのです。時代劇にはやはりこだわりがあり、自分なりな美学があったようです。作品を見ていると魂を感じることができます。
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2014/10/10 22:31 | 巨匠COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

35年以上第一線で活躍した名監督の通信簿

長年活躍することが難しい当時、または現代において、
彼は何を教えてくれるのでしょう。

滝沢英輔の主な代表作

~1930年代
  ・タイトル・公開年数・主演俳優
○「アイスクリーム」1930 秋田伸一
○「真田十勇士」1931 南光明
○「大岡政談 十三夜見物侍」 1932 沢村国太郎
○「太閤記 藤吉郎走卒の巻」 1935 尾上栄五郎
☆「宮本武蔵 地の巻」 1936 
          (初の吉川英治の武蔵映像化) 嵐寛寿郎
☆「戦国群盗伝 前篇 虎狼」 1937 河原崎長十郎
☆「戦国群盗伝 後篇 暁の前進」 1937 河原崎長十郎
☆「戦国群盗伝(総集編)」 河原崎長十郎
☆「地熱 (1938)」 1938 藤井貢
○「武道千一夜」 1938 河原崎長十郎
☆「忠臣蔵 前篇」 1939 大河内伝次郎
○「太陽の都」 1940 岡譲二

~1940年代
○「八十八年目の太陽」 1941 大日方伝
☆「梅里先生行状記 龍神剣」 1941
           (大河内の水戸黄門の1作目) 大河内伝次郎
☆「伊那の勘太郎」 1943 長谷川一夫
○「日本剣豪伝」 1945 大河内伝次郎
☆「おスミの持参金」 1947 若山セツ子

~1950年代
☆「国定忠治(1954)」 1954 辰巳柳太郎
☆「地獄の剣豪 平手造酒」 1954  辰巳柳太郎
○「初姿丑松格子」 1954 島田正吾
○「六人の暗殺者」 1955 島田正吾
☆「江戸一寸の虫」 1955 三国連太郎
☆「川上哲治物語 背番号16」 1957 川上哲治
☆「「廓」より 無法一代」 1957 三橋達也
○「絶唱(1958)」 1958 浅丘ルリ子
○「世界を賭ける恋」 1959 石原裕次郎
☆「あじさいの歌」 1960 石原裕次郎
顔だけなら息子の佐藤浩市と似ているこのころの三国連太郎ですが、演技力や作品運、作品への対応力は父が数段上です。
~1960年代
○俺は死なないぜ 1961 和田浩治
☆新・男の紋章 度胸一番 1964(男の紋章シリーズ4作) 高橋英樹
☆男の紋章 花と長脇差 1964(男の紋章シリーズ5作) 高橋英樹
☆男の紋章 喧嘩街道 1965(男の紋章シリーズ7作) 高橋英樹
☆男の紋章 流転の掟 1965(男の紋章シリーズ8作) 高橋英樹

○より☆は大きいと思われる代表作品群。滝沢英輔の監督作は80作以上ありますが、これらの代表作の半分ぐらいがここ10年で放送されています。戦前の作品は作品が現存していないものがあります。「梅里先生行状記 龍神剣」は10月にCSの衛星劇場で放送されます。貴重な機会なのでこのチャンスに録画できればと思います。

ちなみの監督作80本強は、現代で言うと、山田洋次とほぼ同じ数です。滝沢英輔は監督としてかなりすごいんです。
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2014/10/02 19:22 | 巨匠COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

俳優の雷が去り、監督の滝が再び舞い降りた。

雷と滝って関係あります。滝も雷が鳴り雨が降れば激しさは増すからです。

「名匠・滝沢英輔が辰巳柳太朗や島田正吾らで新国劇の代表演目を映画化したのが国定忠治(1954)なのです。その後、滝沢監督は、その後1950年代後半以降も日活に在籍し青春若者系に路線を変更しても日活一筋を貫きました」~~までいきました。

滝沢英輔監督に久々に戻ります。1930年代から40年代にかけて活躍した梶原金八という集団ペンネームの脚本家の流れで、滝沢監督を取り上げていますが市川雷蔵に1ヶ月以上行っていました。今回は戻らせてもらいます。滝沢監督も梶原金八のメンバーの一員でした。稲垣浩、滝沢英輔、萩原遼八尋不二三村伸太郎山中貞雄、ら日本映画界を支え、のちに名匠や巨匠、名監督や大脚本家に躍進した計8名が参加した共同ペンネームです。
滝沢から黒澤へ、映画なのに、考えられない意外な結びつきから急転直下の大、大脱線(6・13以来)

滝沢英輔は、1957年に「「廓」より 無法一代 」は三橋達也の日活時代の代表作の一つを手がけています。その後、三橋達也は日活から東宝へ移籍して数作の代表作を残し、現代劇のスターとして活躍して、テレビでも視聴率20パーセントを連発した長編ドラマの「十津川警部シリーズ」(三橋版)などの代表作も残しました。
さらに石原裕次郎の映画の主演作は、監督してるだけでも代表作になるかも知れません。1959年の「世界を賭ける恋」1960年の「あじさいの歌」1962年の「雲の向かって起つ」の3作があります。

世界を賭ける恋は海外ロケを多様した作品で映画愛子も最近に観ています。あじさいの歌は石坂洋次郎が原作のいわゆる裕次郎の青春モノです。雲の向かって起つという作品は裕次郎の兄・石原慎太郎の原作による若者作品です。日活の現代劇を代表する女優・浅丘ルリ子が男性俳優の相手のヒロイン役ではない、主演の代表作も手がけていて1958年の「絶唱(1958)」や「十六歳」などがあります。

滝沢英輔という監督は最後が特徴的なんです。高橋英樹の唯一の映画シリーズ代表作「男の紋章シリーズ」を全10作中の4作を監督ています。4作目の1964年「新・男の紋章 度胸一番」と5作目の「男の紋章 花と長脇差」 7作目の1965年の「男の紋章 喧嘩街道」8作目「男の紋章 流転の掟


男の紋章とは、東映の映画で大ヒットした高倉健鶴田浩二などの任侠路線の映画の日活版というべき現代劇シリーズでアクション要素もある作品です。1作目から3作目の監督は滝沢監督より、28年も後輩の松尾昭典が手がけていますが、シリーズの成功にはベテランの力が必要だと日活が判断し、1929年に監督デビューして36年目の滝沢英輔監督を起用したものと考えられます。日活らしい若者さを押し出すことで大きな違いを付けている印象です。当時の日活の専属監督では一番のベテランが滝沢監督でした。滝沢の存在や役割は日活にとって大きいものだったのです。
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2014/09/24 18:05 | 巨匠COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

末路は悲劇か!繁栄か!隆盛を極めた2大演劇が映画をかけた。

巨星が実るも実らないも、やはり俳優から成るものである。それは演劇集団にとっても同じことで看板がいなければ、成り立たない。看板俳優はいつの時代も、どのジャンルにおいても大事なのである。映画と演劇の関わり、それは全盛期の映画界にとっては新鮮で斬新な新風であったのである。映画監督滝沢英輔と演劇との関わりを紐解く。

まずそれ以前にこの二つ。「おスミの持参金」「川上哲治物語 背番号16」はスカパーでも何度か放送がされている作品です。今までは、標準画質だった「川上哲治物語 背番号16」は、この前の放送で初ハイビジョン版が放送されました。タイトル通り、戦前からプロ野球巨人の大選手だった川上哲治が自ら出演しています。のちに監督でV9、”9年連続日本一の前人未踏の記録”を果たしました。滝沢英輔が監督し、二つも代表作となりました。

全盛期の映画界にとっては新鮮で斬新な新風。時代劇が中心であった日活(時期は1913年~1950年代にかけて)では、前進座俳優出演・新国劇俳優出演の時代劇で名作をいくつか残しました。前進座とは、1931年の創立時は歌舞伎を行う劇団で戦前から戦後に一世を風靡(ふうび)しましたが、創立80年以上が経過し現代ではさまだまな演劇が行われています。日本を代表する演劇集団の一つであります。
新国劇も前進座より前の1917年に活動を開始し、いくつかの演目、「月形半平太」「国定忠治」「大菩薩峠」などで大成功を収めて、戦前から戦後にかけて一世を風靡した劇団です。ですが、今は無くなるってしまいました。70年代の俳優不足や倒産により1987年に解団されました。その全盛期を支えた新国劇を代表する2大スター辰巳柳太朗島田正吾なのです。両者とも80歳を越すまで活躍し互いにライバル関係を保ち続けて大往生しました。新国劇は1930年代から1960年後半まで、40年近く二人が中心で支えた劇団でした。歌舞伎以外では、日本演劇史でも上位に入る舞台俳優の”歴代の大スター”ということです。
名匠・滝沢英輔が辰巳柳太朗や島田正吾らで新国劇の代表演目を映画化したのが名作といわれる「国定忠治(1954)」です。舞台の要素や味わいを大事にした作風の国定忠治である。それ以前から片岡千恵蔵(歴代1位の10作)や阪東妻三郎(6作)や尾上松之助(6作)などの映画俳優の大スターで、国定忠治の題材は何度も映画化されていましたが、新国劇の舞台作品とはだいぶ違うものであります。同じ演目的・題材作でも中身は全然違うのです。それが時代劇の本当の良さであり、深みでもある。それはそれぞれが確立していて、別物として良い。

忠臣蔵の映画と基本同じです。アメリカ映画などと違い、内容の筋ではない、ストーリーではない良い部分が多々ある。それが本当の時代劇の良さ。同じ、”国定忠治の題材映画”にも作風が違い空気感も違い、話も違い、視点が違い、俳優によってなど、さまざまな内容があるということです。今の視聴者の多くが、モノを捉え考えるレベルが低下しアメリカ映画の影響で”基本がストーリー映画である”という見方をしてしまっています。さまざまな面で作品を捉える力が欠如している方が多いようです。日本映画とアメリカ映画は上も下もなく本来の本質が違うものであるからです。人間の個々と同じで、ただ、個性が違うのです。

その後、滝沢監督は、その後1950年代後半以降も日活に在籍し青春若者系に路線を変更しても日活一筋を貫きました。
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2014/08/05 17:33 | 巨匠COMMENT(1)TRACKBACK(0)  

革命児!映画や国鏡やジャンル問わずに時代をうごめいた名匠

日本歴代上位に来る渡り鳥の監督であることは間違いないです。1950~60年代に活躍した名監督の川島雄三なども多くの会社で監督していましたが、海外はありませんでしたし、破天荒=渡り鳥は、多彩な監督作がある=破天荒という定義付けて前回は書いてみました。前回のTHE/破天荒&渡り鳥男今の日本映画では当たり前のことですが、当時は5社協定なるものもあったりして監督のその会社の専属も多くいました。巨匠などはフリーで監督してる人もいました。戦後すでに巨匠であった伊藤大輔マキノ雅弘などの時代劇メインの監督はその代表です。

井上梅次監督が海外で活躍していたことは、前回の記事のでも書きましたが、香港の映画会社のショウ・ブラザーズは簡単に書くと、レスリー・チャンジェット・リーアンディ・ラウマギー・チャン、日本でも活動している金城武などを輩出しています。

監督・井上梅次といえば、個人的にはいわゆるギャングモノ映画の印象も強いです。東映ののちの現代劇(任侠モノ路線1960年代~70年代前半)へもこの人の影響も少なからずあると思います。さらに深い話になりそうだからやめときますが、6月の命日がある大スター鶴田浩二の主演映画を東映で数本監督しています。鶴田浩二の主演の通称シリーズである”暗黒街シリーズ”に該当する「暗黒街最後の日」(1962)<鶴田浩二 高倉健 三國連太郎 梅宮辰夫 丹波哲郎 南廣 佐久間良子 久保菜穂子など>で、鶴田浩二主演の東映現代劇のオールスター作品でもあり、井上梅次の代表作の一つといえるでしょう。DVD版はまだハイビジョン版ではありません。
最近にスカパーでハイビジョン版を録画しました。井上梅次は時代劇もやってて、がらっと変わりアイドル映画もやってたり、1970~80年代にはちょくちょくだけドラマも監督していました。大まかには、田宮二郎二谷英明の「白いシリーズ」や「必殺シリーズ」や天知茂の「明智小五郎・江戸川乱歩の美女シリーズ」も監督参加しています。特に、「明智小五郎・江戸川乱歩の美女シリーズ」は1作目から監督だけではなくシナリオにも関わり、ドラマの代表作と言えるでしょう。前回にも書いた舛田利雄監督でさえ多彩なのですがそれを数段上をゆく多彩さが、井上梅次にはありました。ちなみに海外作はありませんが市川崑も多彩です。
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2014/07/01 22:07 | 巨匠COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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