生誕記念の鶴田浩二と近衛十四郎と高倉健の関連性
「鶴田浩二 生誕90年」が2014年でしたが、鶴田浩二は戦後にデビューした映画俳優です。鶴田浩二は松竹から東宝を経て、東映へ移籍しました。東宝時代からすでに大スターでした。東宝時代は三船敏郎より数段上の人気がありました。その後も日本においては上だったと考えています。三船敏郎は、日本ではそれほどではなく、海外にうまく知名度を広げるきっかけがあり、逆輸入の人気や実積です。現代でいうと、渡辺謙なども多少は近い部分があります。
東宝で作られた巨匠監督・稲垣浩による宮本武蔵の3部作の3作目の「決闘巌流島」(1956)では、宮本武蔵の三船に対し、佐々木小次郎の鶴田の人気の絶大さゆえに、ダブル主演というより、鶴田の単独主演の扱いに東宝が変えざる得ないほどの、高い人気があったと逸話の有名です。1960年に移籍した東映時代以降にも任侠やギャング路線で更なるブレイクを果たし、トータルでは高倉健を上回る主演数が約160本で、代表作70本に近い痕跡を残しました。また、高倉健と鶴田浩二は東映時代にトータル18作で共演しています。高倉健が共演したスター俳優としては歴代2位の作数です。高倉健からすれば、最大のライバルでもあり、兄貴分である立場でした。愛子が一言でいうと、彼は哀愁や背中で演じる男の美学を追及していました。それは彼だけの俳優としての到達点ともいえます。
東映時代は「博徒シリーズ」、「博奕打ちシリーズ」、「暗黒街シリーズ」、「人生劇場シリーズ」、「関東シリーズ」、「列伝シリーズ」、「日本暴力団シリーズ」、時代劇では、「次郎長三国志シリーズ(東映版)」などのシリーズモノの代表作が東映時代は数多くあり、松竹、東宝時代は単発の代表作が多くあります。(細かく書くと長くなるので控えめに)
博奕打ち [DVD]
「博奕打ちシリーズ」は東映チャンネルでもハイビジョン版は放送されています。鶴田浩二のシリーズ作品の中でもナンバーワンに挙げられることが多い任侠モノのシリーズ映画です。この作品は記念すべき第1作目。
鶴田浩二は、東映時代だけでも、100作に近い主演作を誇る看板スターとして活躍しました。戦後ナンバーワンの映画主演数を誇る国民的大スターでした。ちなみに戦後以降の映画主演数歴代2位が片岡千恵蔵です。戦前からトップ俳優の一人ですが、戦後だけでも150作ほどの主演作があります。鶴田浩二は、歌でも知られ、その痕跡は高倉健(130作ほど)よりも上であり、国民栄誉賞を挙げていないのがおかしい存在の一人となっています。
「近衛十四郎 生誕100年」でしたが、主演作が少ないため、東映チャンネルでは、鶴田浩二の主演した時代劇の前後作の相手役で出演した作品も放送していました。それが「鳴門秘帖」(1961)、「鳴門秘帖 完結篇」(1961)です。この作品の”鳴門秘帖”は戦前から何度も(トータル21度)も映画化させている吉川英治の有名な原作です。近衛十四郎は、映画ではそれほど活躍はしていないのが現実です。トータルでも40作ほどの主演数で、歴代でも上位には入りません。映画俳優としては中間、または小粒のスターなのかもしれません。男の俳優で、歴代の大女優にさえ負けているのです。現役俳優の松方弘樹や目黒祐樹の父でもあります。息子たちとの共演作も映画やドラマも含めて数多くあります。
忍者ブームの流行のより、東映が製作した忍者要素がある時代劇の一つ、この作品も近衛十四郎の主演作です。
忍者狩り [DVD]
近衛十四郎の映画主演数は、現役の俳優の役所広司のトータル2014年時点の40作強と近い主演数です。トータルでは、助演や相手役で活躍した印象もあり、1960年に移籍を果たし、東映の映画時代の唯一の当たり役「柳生武芸帳シリーズ」の柳生十兵衛の印象がそのままの実積といえる映画時代でした。トータルでもこの役しか、突き抜けた当たり役がない俳優です。しかし、当たり役が映画で1つあるだけでもすごいことなのです。高倉健は代表シリーズは3つありますが、当たり役は残念ながら0でした。役が有名ではありません。近衛十四郎が東映へ移籍する前の松竹時代は、戦後の松竹時代劇のトップスターであった高田浩吉の相手役や助演で20作以上の共演を誇り、戦後の松竹のトップ時代劇スターを2番手の役割で支えました。その後、東映の時代劇映画が低迷した1960年代中盤にドラマの時代劇スターへ転向し、いわゆる「素浪人シリーズ」(月影兵庫や花山大吉など)の代表作もその後のことです。月影兵庫は、視聴率が40パーセントを越した回もあったともいわれています。
東宝で作られた巨匠監督・稲垣浩による宮本武蔵の3部作の3作目の「決闘巌流島」(1956)では、宮本武蔵の三船に対し、佐々木小次郎の鶴田の人気の絶大さゆえに、ダブル主演というより、鶴田の単独主演の扱いに東宝が変えざる得ないほどの、高い人気があったと逸話の有名です。1960年に移籍した東映時代以降にも任侠やギャング路線で更なるブレイクを果たし、トータルでは高倉健を上回る主演数が約160本で、代表作70本に近い痕跡を残しました。また、高倉健と鶴田浩二は東映時代にトータル18作で共演しています。高倉健が共演したスター俳優としては歴代2位の作数です。高倉健からすれば、最大のライバルでもあり、兄貴分である立場でした。愛子が一言でいうと、彼は哀愁や背中で演じる男の美学を追及していました。それは彼だけの俳優としての到達点ともいえます。
東映時代は「博徒シリーズ」、「博奕打ちシリーズ」、「暗黒街シリーズ」、「人生劇場シリーズ」、「関東シリーズ」、「列伝シリーズ」、「日本暴力団シリーズ」、時代劇では、「次郎長三国志シリーズ(東映版)」などのシリーズモノの代表作が東映時代は数多くあり、松竹、東宝時代は単発の代表作が多くあります。(細かく書くと長くなるので控えめに)
鶴田浩二は、東映時代だけでも、100作に近い主演作を誇る看板スターとして活躍しました。戦後ナンバーワンの映画主演数を誇る国民的大スターでした。ちなみに戦後以降の映画主演数歴代2位が片岡千恵蔵です。戦前からトップ俳優の一人ですが、戦後だけでも150作ほどの主演作があります。鶴田浩二は、歌でも知られ、その痕跡は高倉健(130作ほど)よりも上であり、国民栄誉賞を挙げていないのがおかしい存在の一人となっています。
「近衛十四郎 生誕100年」でしたが、主演作が少ないため、東映チャンネルでは、鶴田浩二の主演した時代劇の前後作の相手役で出演した作品も放送していました。それが「鳴門秘帖」(1961)、「鳴門秘帖 完結篇」(1961)です。この作品の”鳴門秘帖”は戦前から何度も(トータル21度)も映画化させている吉川英治の有名な原作です。近衛十四郎は、映画ではそれほど活躍はしていないのが現実です。トータルでも40作ほどの主演数で、歴代でも上位には入りません。映画俳優としては中間、または小粒のスターなのかもしれません。男の俳優で、歴代の大女優にさえ負けているのです。現役俳優の松方弘樹や目黒祐樹の父でもあります。息子たちとの共演作も映画やドラマも含めて数多くあります。
忍者ブームの流行のより、東映が製作した忍者要素がある時代劇の一つ、この作品も近衛十四郎の主演作です。
近衛十四郎の映画主演数は、現役の俳優の役所広司のトータル2014年時点の40作強と近い主演数です。トータルでは、助演や相手役で活躍した印象もあり、1960年に移籍を果たし、東映の映画時代の唯一の当たり役「柳生武芸帳シリーズ」の柳生十兵衛の印象がそのままの実積といえる映画時代でした。トータルでもこの役しか、突き抜けた当たり役がない俳優です。しかし、当たり役が映画で1つあるだけでもすごいことなのです。高倉健は代表シリーズは3つありますが、当たり役は残念ながら0でした。役が有名ではありません。近衛十四郎が東映へ移籍する前の松竹時代は、戦後の松竹時代劇のトップスターであった高田浩吉の相手役や助演で20作以上の共演を誇り、戦後の松竹のトップ時代劇スターを2番手の役割で支えました。その後、東映の時代劇映画が低迷した1960年代中盤にドラマの時代劇スターへ転向し、いわゆる「素浪人シリーズ」(月影兵庫や花山大吉など)の代表作もその後のことです。月影兵庫は、視聴率が40パーセントを越した回もあったともいわれています。
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2015/01/30 19:25 | 超大物俳優 | COMMENT(0) | TRACKBACK(0)