原節子と初代・金田一耕助のたった1度の交わりとアメリカのナンバーワン映画スター
原節子と初代・金田一耕助の唯一の交わりとアメリカのナンバーワン映画スターと題して記事は進んでいきます。何名かの巨匠の作品に出演していた原節子は、初代・金田一耕助に出演しています。評価されたことで歴代の映画スターとの共演の機会が巡ります。原節子は片岡千恵蔵の初代・金田一耕助シリーズの1作目・1947年の「三本指の男」に初代・白木葉子役でヒロイン出演しています。
前記事⇒歴代映画8大スターと10作以上のコンビを組み、多大な貢献した稀代の娯楽の巨匠
片岡千恵蔵と原節子の二人はこの「三本指の男」が生涯で唯一の共演作です。戦前の時代劇6大スターに位置づけられ、宮本武蔵、忠臣蔵、万花地獄シリーズなど数多くの代表作があり、すでに歴代上位スターであった千恵蔵は、”戦後の直後には現代劇で”大ブレイクを果たします。戦後直後の片岡千恵蔵は、オールスター作品や大型時代劇、「多羅尾伴内シリーズ」や「にっぽんGメン」から端を発する千恵蔵の「ギャングシリーズ」などを兼任しながらヒットさせたのが、この「初代・金田一耕助シリーズ」です。
横溝正史の”国民的探偵の金田一耕助の初の映像化作品”が、片岡千恵蔵による初代・金田一耕助シリーズの1作目「三本指の男」です。日本の映画や映像史においても歴史的な作品であり、原節子との唯一の共演(交わり)もあったことも重なって、同時に記念すべき作品になりました。
原節子は戦前から東宝に専属で所属していたため、東横(数年後から東映)から声がかかって調整が完了したのち、東宝から東横に呼ばれて特別出演を果たしたのです。「三本指の男」は片岡千恵蔵や市川右太衛門との数十作に到達した名コンビでも知られ、東映トップといわれた巨匠・松田定次の監督作です。「三本指の男」は1947年に1度目の期間で公開され、1950年と1953年の2度の期間にも再公開がされています。合計で3度の期間で公開されているということになり、これは大変に珍しいことのようです。続編が公開される前ということも考えられますし、それだけなら他にも再公開が多くあってもいいようですが、当時や現在も正式な再公開の期間が設けられることはほとんどないので、当時にそれだけの評価や評判があったことも物語っています。

原節子 あるがままに生きて (朝日文庫)
強かったころのアメリカの象徴であり、アメリカのナンバーワン映画スターともいわれる西部劇を事実上、牽引したあのジョン・ウェインでさえ、映画の主演数は120作強です。戦前のジョン・ウェインは立派な映画ですが、戦前はB級作に主演している時期もありました。最終的には映画の主演300作を上回る超大スターの片岡千恵蔵とは、300と120でわかると思いますが、主演数が千恵蔵の半分以下の大差となっています。もちろんジョン・ウェインも素晴らしい俳優ですが、アメリカのナンバーワン映画スターを2倍以上も上回っていることからもいってしまえば、千恵蔵は世界のトップの映画スターに該当します。
1947年の「三本指の男」の時点で、片岡千恵蔵は戦前から含めて170作に近い映画の主演作があります。片岡千恵蔵が主演した”初代・「金田一耕助シリーズ」”の1作目「三本指の男」の出演時の原節子は、主演数(ヒロイン含む)は通算で25作ほどであり、当時、主演作が170作の片岡千恵蔵と大差が存在しています。原節子は徐々に評価され始めたものの、片岡千恵蔵からすれば大きく格下であり、相手役のスター女優が原節子でした。
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原節子と初代・金田一耕助の唯一の交わり
片岡千恵蔵と原節子の二人はこの「三本指の男」が生涯で唯一の共演作です。戦前の時代劇6大スターに位置づけられ、宮本武蔵、忠臣蔵、万花地獄シリーズなど数多くの代表作があり、すでに歴代上位スターであった千恵蔵は、”戦後の直後には現代劇で”大ブレイクを果たします。戦後直後の片岡千恵蔵は、オールスター作品や大型時代劇、「多羅尾伴内シリーズ」や「にっぽんGメン」から端を発する千恵蔵の「ギャングシリーズ」などを兼任しながらヒットさせたのが、この「初代・金田一耕助シリーズ」です。
横溝正史の”国民的探偵の金田一耕助の初の映像化作品”が、片岡千恵蔵による初代・金田一耕助シリーズの1作目「三本指の男」です。日本の映画や映像史においても歴史的な作品であり、原節子との唯一の共演(交わり)もあったことも重なって、同時に記念すべき作品になりました。
原節子は戦前から東宝に専属で所属していたため、東横(数年後から東映)から声がかかって調整が完了したのち、東宝から東横に呼ばれて特別出演を果たしたのです。「三本指の男」は片岡千恵蔵や市川右太衛門との数十作に到達した名コンビでも知られ、東映トップといわれた巨匠・松田定次の監督作です。「三本指の男」は1947年に1度目の期間で公開され、1950年と1953年の2度の期間にも再公開がされています。合計で3度の期間で公開されているということになり、これは大変に珍しいことのようです。続編が公開される前ということも考えられますし、それだけなら他にも再公開が多くあってもいいようですが、当時や現在も正式な再公開の期間が設けられることはほとんどないので、当時にそれだけの評価や評判があったことも物語っています。
原節子やアメリカのナンバーワン映画スターでさえ大差で恐れる初代・金田一耕助の男
強かったころのアメリカの象徴であり、アメリカのナンバーワン映画スターともいわれる西部劇を事実上、牽引したあのジョン・ウェインでさえ、映画の主演数は120作強です。戦前のジョン・ウェインは立派な映画ですが、戦前はB級作に主演している時期もありました。最終的には映画の主演300作を上回る超大スターの片岡千恵蔵とは、300と120でわかると思いますが、主演数が千恵蔵の半分以下の大差となっています。もちろんジョン・ウェインも素晴らしい俳優ですが、アメリカのナンバーワン映画スターを2倍以上も上回っていることからもいってしまえば、千恵蔵は世界のトップの映画スターに該当します。
1947年の「三本指の男」の時点で、片岡千恵蔵は戦前から含めて170作に近い映画の主演作があります。片岡千恵蔵が主演した”初代・「金田一耕助シリーズ」”の1作目「三本指の男」の出演時の原節子は、主演数(ヒロイン含む)は通算で25作ほどであり、当時、主演作が170作の片岡千恵蔵と大差が存在しています。原節子は徐々に評価され始めたものの、片岡千恵蔵からすれば大きく格下であり、相手役のスター女優が原節子でした。
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2015/12/21 17:57 | 超大物俳優 | COMMENT(1) | TRACKBACK(0)