11代目の歌舞伎「仮名手本忠臣蔵九段目」と幻映画『忠臣蔵五段目』に隠された残像
前回は歌舞伎の今や忘れ去られた名優と最初の忠臣蔵映画に関して取り上げました。最初の忠臣蔵映画は事実上の最初の忠臣蔵題材の映像作品を同時に意味しています。映画はもちろんですが、忠臣蔵のテレビドラマにも影響を与えているわけです。
前回記事⇒【映画秘話】忠臣蔵映画の起源のナゾと現代なら人間国宝の歌舞伎名優のヒミツ
11代目の歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』九段目と映画『忠臣蔵五段目』に隠された残像
前回記事で1907年に公開された11代目の片岡仁左衛門が主演した『忠臣蔵五段目』のことを取り上げました。
ここである疑問が残されています。それは11代目の片岡仁左衛門の当たり役に隠されています。片岡仁左衛門は歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵九段目」の加古川本蔵が当たり役のひとつとされています。
何故、11代目は歌舞伎の当たり役とされている「仮名手本忠臣蔵九段目」の加古川本蔵を忠臣蔵映画で演じなかったのでしょうか。
これは映画の主演の役柄ではないからだと考えられます。映画では彼が主役であり、作品の俳優でもっともスターであるわけで、必然的に主役を演じることになります。映画出演の際に11代目の片岡仁左衛門の一座として記録が残されているものもあります。これも主役は彼が演じたことを示しているひとつの証拠です。
1908年に公開された『忠臣蔵』の出演は、11代目の片岡仁左衛門一座と記録が残されています。他もそうだったかもしれませんが、そこは不明です。

片岡仁左衛門写真集の実に貴重な写真集
同じ忠臣蔵題材でも歌舞伎ではなく”映画だからの理由”がある
「仮名手本忠臣蔵九段目」の加古川本蔵は、歌舞伎の当たり役でも忠臣蔵映画でこの役を演じると基本は助演になってしまいます。
歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵九段目」は大星由良之助(おおぼしゆらのすけ)=(映像化作品は大石内蔵之助や大石蔵之助など)が主役です。そこに加古川本蔵(かこがわほんぞう)とその妻の戸無瀬(となせ)、娘の小浪(こなみ)、由良之助の息子の大星力弥(りきや)=(映像化作品は大石主税)が登場します。
映画愛子はおおよそのあらすじを知っていますが、九段目は役柄の優先順で言うと大星由良之助、戸無瀬、小浪、加古川本蔵、大星力弥の順のように描かれているように感じています。
歌舞伎の当たり役の加古川本蔵を演じたかもしれませんが、演じていたとしても大石内蔵之助を演じながら助演として演じていたことでしょう。しかし、明確な証拠は残されていません。想像の範囲になってしまうので残念なところです。
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なぜ一人の主演俳優が複数の役柄を忠臣蔵映画で演じるのか
なぜ一人の主演俳優が複数の役柄を忠臣蔵映画で演じるのかですが、これは目玉の松ちゃんこと日本映画最初の大スターの尾上松之助、現存版含むと通産27作の忠臣蔵映画に出演し、忠臣蔵映画の観客動員が歴代1位だと考えられる、大映画スターの片岡千恵蔵。忠臣蔵映画に通産の観客動員が10作以上の出演、歴代4位だと考えられる映画スターの長谷川一夫などが一つの忠臣蔵映画内において、数役を演じている場合があるだけではありません。
数役を演じるという概念は忠臣蔵映画や歌舞伎、さらに古くは日本の伝統芸能の文楽(人形浄瑠璃文楽)から存在しています。文楽は1600年代の後半から興行のその証拠が存在しており、太夫といわれる語り部が登場人物の数役を演じ分ける概念がありました。偉大な先人から引き継いだ長きにわたった独自な文化も大きく影響しています。

上記は主演の大石内蔵之助を演じた松本幸四郎を押し出した「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」の貴重なポスターですが、作品は原節子の映画出演の遺作です。
1962年に公開した東宝の『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』、この映画は観客動員はそこそこでしたが、ざっくりいうと映画愛子はあまり評価できない名作とは言いがたい忠臣蔵映画でした。東宝は現代で言うとタレントのような俳優が多く、この映画も同様ですが、良い意味の時代劇映画を求めていると製作者や俳優たちなどにさまざまな問題を感じてしまいました。
やはり、戦後では東映がもっとも内容が良い忠臣蔵映画を作っていたと見比べて判断しています。東映と比べると俳優や総合力が別次元です。東映の製作者は戦前からの時代劇映画を良い意味で理解しているプロたちが多数います。特に忠臣蔵映画を戦後でもっとも手がけた巨匠の松田定次をはじめ、東映の次期社長とも言われた大プロデューサーのマキノ光雄、片岡千恵蔵との名コンビなどで知られ、日本映画の最大の黄金期の数年間で軽く1億人以上の観客動員を記録した玉木潤一郎は忠臣蔵映画の巨星でした。
巨匠の稲垣浩監督もこの俳優のグチャグチャさには苦労したかと思いますし、さすがにまとまりの薄い”個性豊かな現代劇俳優たち”はまとめようがなかったようです。また、テレビドラマ時代劇とは異なり、時代劇映画は一人の俳優がかみ合わないだけでも世界観が崩壊してしまうことがあります。特に加山雄三が・・いえこれ以上はやめておきましょう。
『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』の救世主の救いの手はやはり小林桂樹
『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』では脇坂淡路守役で出演していた小林桂樹を俳優でもっとも評価しています。彼は東宝では多くの良い演技をする数少ない実力派の名俳優でした。小林桂樹の脇坂淡路守は松の廊下の刀傷直後と赤穂城の明け渡しのシーンを主に登場し、出番は少ないですがトータルで突き抜けた演技のかみ合いの印象を残します。

われ一粒の麦なれど 1964年映画パンフレット 松山善三・監督 高峰秀子 小林桂樹 大村崑 森繁久彌 木村功 水谷良重
左側は映画スター時期があり、名女優にも相当する高峰秀子、右側が小林桂樹です。この頃は俳優として油がさらに乗ってきた時期でした。監督は数作のみの監督代表作がある高峰秀子の夫で、トータルは名脚本家の松山善三、この映画も録画済です。
「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」で三船敏郎も原節子は悪くもない普通レベルですが、両者とも相変わらず助演は主演以上に他の映画と演技が似てしまい、残念ながら役幅の狭さを感じます。映画愛子は両者を多くの作品で見ていますが、”マスメディア全体の持ち上げが強い東宝の俳優”だからだと考えられますが、さまざまな面で過大評価されている部分は非常に残念です。
監督も俳優の評価も同様ですが、三船敏郎や原節子もマスメディアが誇張した代表作のみを視聴しただけでは正当な評価はできません。映画愛子は多様性を知るために代表作以外を多く見ていますし、これによりいろいろとボロが出てきます。特に三船敏郎は海外的な東宝映画に多く出演し、通産で欧米調の演技をやり続けた俳優です。
偉大な先人から引き継ぎ長きにわたる独自な要素の継承の重要性
今回記事は11代目の歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』九段目と映画『忠臣蔵五段目』からスタートし、『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』について、今回の記事に関わりもあることなので広げました。忠臣蔵映画は豪華さや多彩さ、娯楽映画、時代劇映画、多くの傑作、名作の良い要素だけではありません。問題点も存在しています。『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』ではその問題点に関しても触れました。
忠臣蔵映画は偉大な先人から引き継いだ長きにわたる独自な要素も含めて、きちんと後世に伝えるべき大切な一つの文化でもあるのです。
裏側⇒【忠臣蔵映画と黒澤明】極端な欧米志向監督を忠臣蔵映画は許されず
欧米優先主義監督とは、許されずとはいかに
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2017/12/16 00:01 | 邦画の探求 | COMMENT(1) | TRACKBACK(0)