悲劇?幸運?改名を世界最多級11度繰り返した映画奇蹟
今回はさらに独自な路線展開、時代劇音楽だけでなく、日本の映画音楽の源流ともなった人物の一人、同時に大映画音楽家の西悟郎の知られざる変化の部分に注目し、今回も他では取り上げられていない独自な部分に切り込んでいます。西悟郎のことは西悟郎、西悟朗として取り上げてきましたが、実はもう一つの名義が存在していました。
それが西梧郎です。
今回は「悲劇?幸運?改名を世界最多級11度繰り返した映画奇蹟」と題して取り上げていきます。
前回記事⇒大映画音楽家のデビュー作3時間37分大超大作『岡野さんと毛利さんと悪太郎さん』
漢字2文字目に秘められた悲劇?幸運?
西梧郎の漢字2文字目の悟と梧が異なるわけですが、これはほとんど変わりません。梧の字は現代に使われることがあまりないため、個人的に悟が使われている西悟郎の名義で統一していました。そのほうが現代的に伝わりやすいのではないかと感じたからです。でも、それだけではない部分もきちんと取り上げるべきだと今回の記事をたぐり寄せることとなりました。こうした部分も含めて映画の面白さだから取り上げることにしました。映画は見て終わりではありません。さまざまな深い部分があってこそ伸びしろがあるからです。
日本の歴代の上位の映画音楽家の中で3つの名義を持つ存在は他にいないレベルで個性的です。西悟郎の悟と梧は基本的に同じ意味であり、当時は両方のどちらでもよかったのでしょう。今回は西悟郎の名義ではなく、西梧郎として取り上げていきます。このことは次第に明らかになります。
映画音楽家の西梧郎の主な活動名義の変化の流れ
<西梧郎の主な活動名義と変化の流れ>
改名数、改名 公開年数『映画名』(主演俳優名)~『映画名』(主演俳優名) 継続作数
0、西梧郎 1936『忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』(大河内傳次郎、片岡千恵蔵)~
1936『大菩薩峠 鈴鹿山の巻 壬生島原の巻』(大河内傳次郎)まで13作ほど
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1、西悟郎 1936『河内山宗俊』(主演は河原崎長十郎)の1作のみ
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2、西悟朗 1936『勘太郎月の唄』(尾上菊太郎)の1作のみ
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3、西梧郎 1936『海鳴り街道』(大河内傳次郎) 、
1936『股旅千一夜』(中村翫右衛門、河原崎長十郎)の2作
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4、西悟郎 1936『東の伊達男』(大城竜太郎)の1作のみ
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5、西梧郎 1936『栗山大膳(1936)』(大河内傳次郎)~
1937『森の石松(1937)』(黒川弥太郎)の3作
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6、西悟郎 1937『浮世三味線 第一絃』(黒川弥太郎、花井蘭子)と
1937『唐人お吉 黒船情話』(花井蘭子)の2作
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7、西梧郎 1937『曠原の魂』(片岡千恵蔵)の1作
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8、西悟郎 1937『女賊変化』(原健作、中野かほる)の1作
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9、西梧郎 1937『国定忠治(1937)』(阪東妻三郎)~
1937『飛竜の剣』(阪東妻三郎)まで3作
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10、西悟郎 1937『自来也』(片岡千恵蔵)~1938『.無法者銀平』(片岡千恵蔵) の2、
または3作(断片の現存版も含むため)
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11、西梧郎 1938『江戸の花和尚』(片岡千恵蔵)~
1958年の遺作『紅蝙蝠(1958)』(松本錦四郎)まで80作ほど連続
下記部分からは上記の1~11部分の要点に迫っていきましょう。
西梧郎が参加した山中貞雄と稲垣浩にジュリアン・デュヴィヴィエとジャン・ギャバンの影
西梧郎が登場する上記との関連とその映画に少し迫ります。
上記の左側にフランス映画『地の果てを行く』 (1935)のタイトル名がみられます。フランス映画5大巨匠、またはフランス映画ビック5ともいわれる監督のジュリアン・デュヴィヴィエとフランス歴代上位の大スターのジャン・ギャバンのコンビ、『地の果てを行く』はジャン・ギャバンの人気を高めたとされる出世作であり、代表作の一つです。
上記の「海鳴り街道」山中貞雄の文字はリンク先の裏面に記事写真が残されています。上記の右側にみられる『股旅千一夜』は稲垣浩の監督作です。前進座俳優が主要や多数出演するいわゆる前進座時代劇映画を初めて手がけました。
中村翫右衛門、河原崎長十郎の当時の前進座の2枚看板、河原崎の妻の名女優の山岸しず江、のちに加東大介と芸名を改めて映画俳優となる名優の市川莚司、日本最古の映画俳優の横山運平、日本の助演俳優の大女優の沢村貞子、名女優の小松みどり(五月みどりの妹で歌手の小松みどりとは同姓同名の別人)、1930~1940年代を代表する名子役の宗春太郎、片岡千恵蔵の国士無双(國士無双)で相手役の伊勢伊勢守役で大ブレイク、以後は喜劇スターとして一時的に主演でも活躍した高勢実乗も出演
『海鳴り街道』と『股旅千一夜』の音楽は西梧郎です。映画『海鳴り街道』は大河内傳次郎が稲葉小僧新助を演じた、鼠小僧などでも知られる義賊ものの時代劇だと考えられ、『股旅千一夜』はタイトルそのまま股旅もの時代劇と前進座舞台の要素を定着された映画だと分かり、両方の音楽は西梧郎であり、この話題作や秀作の音楽を手掛けて、さらに日活映画や映画界の地位が確立していくことになりました。
上記はフランス映画5大巨匠のジュリアン・デュヴィヴィエと大スターのジャン・ギャバンの名作『地の果てを行く』
3年間に11度の驚異的なペースの改名?!
1度目の改名を行うまでは13作を手掛けていますが、1度目をしてからは11度目の改名までは3作以内に改名を継続するという異例さ、しかも1936~1938年に約3年間に11度の驚異的なペースでした。これは前代未聞です。
冒頭でも少し触れていますが、結果的に改名と考えられるようになっているだけで、本来は改名とは考えられません。当時は西梧郎と西悟郎の梧と悟の字はどちらでも良かったのが現実でしょう。現代的には悟のほうが多く使われていると個人的には感じていますが、西梧郎の名前のほうが定着してしまいこちらが全体になっていったのでしょう。
21年間で映画80作ほどの映画音楽を連続で担当
上記の”映画音楽家の西梧郎の主な活動名義の変化の流れ”の11、西梧郎 1938『江戸の花和尚』~1958年の遺作『紅蝙蝠(1958)』まで21年間で映画80作ほどの映画音楽を連続で担当、西梧郎の名義で大きく成功を続けたこともあり、梧の文字を使用した名義の活動が中心になりました。トータルの代表作のほとんどがこの西梧郎の名義です。
今回の記事タイトルの西梧郎の改名(正確には改名ではないが変わっている事実がある)は”悲劇?幸運?”についてですが、映画音楽担当の代表作50作以上の歴代レベルの活躍してしまえば、余裕で悲劇から幸運に変化してしまいます。
今回の新の裏記事 ↓ ↓
鍔鳴浪人の西梧郎とスペンサー・トレイシーの名作と「天狗廻状」が顔出したとき
2018年8月22日公開の裏記事 ↓ ↓
『四十八人目の男』と歴代大石内蔵助ベスト3俳優と忠臣蔵映画記録に迫れ!!
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2018/08/21 18:22 | 邦画の探求 | COMMENT(2) | TRACKBACK(0)