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セミドキュメンタリー形成巨匠 新型コロナ蔓延から国立映画アーカイブ「戦後日本ドキュメンタリー映画再考」





映画愛子は我が身を沈めて苦難と忍耐を求められる辛く険しい道を行くのか


映画記事は海外だけに逃げることは非常に簡単です。ブログとしても気軽に済んでしまいます。海外映画は視聴していても非常に気持ちが楽で都合が良く観れてしまう、ですがその反面に自分の国の映画、邦画は非常にまじめになる、考え込みすぎて作品を評価してしまう、何度も感じることがあります。

外国映画を見ていれば気持ちがラク、ですが自分の国だという責任の伴う日本映画と向き合うことは、避けて通れない自分とも向き合うこと、取り上げるのも自分の国のことを取り上げるほうが大変です。なぜなら他国にことはどんなに気持ちを組んでも他人事でもありますが、自分の国のことは他人事ではないからです。文章を書いたり考えていても感じることがあります。自分の国のことを考えているほうが、多様性を意識しながら他に無いような個性も出す、非常に神経を使いますし、疲れと時間は膨大に消費します。



あえて言わせていただきますが、気軽で楽なほうは選ばずに、我が身を沈めて苦難と忍耐を求められる、辛く険しい道を行く、これがこのブログのやり方の一端だと感じています。<セミドキュメンタリー形成巨匠 新型コロナ蔓延から国立映画アーカイブ「戦後日本ドキュメンタリー映画再考」>の開始です。



前回記事⇒浅野内匠頭を超えて内幕の忠臣蔵千姿万態 岡部美濃守役から映画社長と女優のガッチンコ
忠臣蔵映画のこともまた期間をおいて取り上げる機会があると考えています。ですが、今はしばし別れのとき、仰げば尊しです。







ドキュメンタリーやセミドキュメンタリー形成的監督 新型コロナウイルス蔓延と国立アーカイブ「戦後日本ドキュメンタリー映画再考」への道






映画愛子は新型コロナウイルスが徐々に力を拡大しつつあった2020年1月21日~3月8日の期間、東京の京橋、国立映画アーカイブ(日本で唯一の国立映画機関)を何度か訪ねていました。今回上映されていた企画が「戦後日本ドキュメンタリー映画再考」です。映画ファンにとっては非常に重要な作品群ばかり、約1ヵ月半で66作品が上映されました。


国立映画アーカイブ関連の記事は、国立映画アーカイブが現在の名称に変わる前の東京国立近代美術館フィルムセンターの名称だった頃の某月某日 映画愛子が東京国立近代美術館フィルムセンターへやってきたからの流れ以来となります。思い返しても、”東京国立近代美術館フィルムセンター”は名称が長く覚えにくく、ひとこと名称の”国立映画アーカイブ”またはさらに省いて”国立アーカイブ”になって正解だったと考えています。




新型コロナウイルス 国立映画アーカイブ 国立映画機関 戦後日本ドキュメンタリー映画再考












彼はぜんぜん最初じゃない是枝裕和の先人 「戦後日本ドキュメンタリー映画再考」の66作品の膨大数を前に







戦後日本ドキュメンタリー映画再考」の66作品の全てを観たいが全ては観られないながらも何度か参加させていただきました。その中で印象に残った部分へ独自な解釈と内容を絡めて迫れたらと考えています。


日本のドキュメンタリー映画は形を変えて海外にも知られています。たとえば是枝裕和の映画の母体にある映画内容はドキュメンタリー要素(セミドキュメンタリー映画)です。彼はフジテレビなどのテレビドキュメンタリー番組のデイレクターの経歴を持ちます。今回取り上げる”とある巨匠”ともつながりますし、ドキュメンタリーからセミドキュメンタリーの流れが同じです。

海外映画の基本であるリアリズム重視もドキュメンタリー映画と大きくつながりがあります。真実や事実を記録することを重視したドキュメンタリー映画、または真実や事実に製作者の作家性を加えて映画にすることも、ドキュメンタリー映画です。

彼のみが凄いのではなく、彼の映画の後ろには、多くのドキュメンタリー映画の流れをつなぎ、多彩で大勢の先人たちの印影が積み重なってつむいできた、事実が存在していることを忘れてはなりません。

この事実を知る、再認識するためにも「戦後日本ドキュメンタリー映画再考」は非常に意味があるものでした。



映画雑誌の秘かな愉しみポスター ’19912「国立映画アーカイブ」室

映画雑誌の秘かな愉しみポスター ’19912「国立映画アーカイブ」室

国立映画アーカイブは企画展示などで定期的に映画ポスターの展示も行っています。







ドキュメンタリー映画 是枝裕和 セミドキュメンタリー映画







日本ドキュメンタリーの形成に貢献した名門の岩波映画羽仁進







「戦後日本ドキュメンタリー映画再考」の前に、導入として、羽仁進(はにすすむ)について話す必要があると考えています。


羽仁進は日本のドキュメンタリー映画の流れに大きく貢献した重要人物です。ドキュメンタリーやその要素の映画の枠を飛び越えた日本映画そのものの巨匠または名匠の一人です。事実上のドキュメンタリー映画やセミドキュメンタリー映画(ストーリーなどの劇の要素がある)の形成監督、映画ファンに知られているという面では、正確には形成的な役割を担ったといってもよいでしょう。


名匠レベルだと考える方もいるかと思いますが、個人的には彼のこれまでの実積や影響力を配慮すると十分に巨匠だと考えています。現代の是枝裕和などの彼の路線を引き継いでいる多くの後輩たちも大きな影響を受けています。


羽仁進は1928年(昭和3年)生まれで、現在も存命、2020年に92歳を迎えます。岩波映画(正確には岩波映画製作所、略称が岩波映画、基本は略称で通じるほど映画界では浸透)の創立の一人として関与し、監督のキャリアをスタートさせています。元は1947年に共同通信社の記者だったとされています。



岩波映画は1949年の第1回制作し、日本のドキュメンタリー映画を定着させることに貢献、ドキュメンタリー映画自体は戦前からも存在するが、一定の大きな規模のおおやけにこのジャンルを広めたという面でも、事実上の日本のドキュメンタリー映画を形成したということもでき、日本映画の歴史に非常に重要な役割を果たしてきた映像制作会社です。

岩波映画は、現在も多くの映像作品を制作していますが、映画製作はあまりしていません。過去の作品を管理することが中心の現在の日活(現代も映画製作はしているが、共同制作やピンク映画、数館上映作品など規模や本数は少ない、またCSチャンネルのチャンネルNECOの運営)と近い状況ともいえます。

チャンネルNECO=日活株式会社衛星メディア事業本部が運営する、CS放送中心の映画、ドラマ、アニメなどのチャンネル名





羽仁進 岩波映画 岩波映画製作所 チャンネルNECO 日活株式会社衛星メディア事業本部









羽仁進 日本のドキュメンタリー映画とセミドキュメンタリー映画を背負って来た巨匠







羽仁は確認できる限りで1952~1983年までの約31年間、22作の映画を監督しています。多くの秀作や名作、意味のある要素の映画を残しています。大手映画会社は松竹の1本のみですが、ドキュメンタリーやセミドキュメンタリー、2本の日本と外国の合作、また5本の外国ロケ作品、自身の映画会社である独立映画会社の略称の羽仁プロ(正式は羽仁進プロダクション)、カルトな支持を誇る有名な独立映画会社のATG(日本アート・シアター・ギルド)とのかかわりなど本数は少ないものの、実に多彩です。


また当時の映画監督としては多くはない、多くの受賞作品を誇ります。特に当時の日本映画は基本的に前衛作品が受賞しやすい傾向があるので、彼の監督としての路線が受賞の要素に当てはまり、受賞が続きました。


羽仁進は簡単なところだけの受賞の代表作は、『教室の子供たち』=ブルー・リボン賞、教育映画祭一般教育部門最高賞、『絵を描く子供たち』=キネマ旬報ベストテン短編第1位など、『法隆寺』=ロカルノ映画祭短編映画最高賞、文部省芸術祭賞、『不良少年』=キネマ旬報ベストテン第1位(長編)、キネマ旬報ベスト・テン日本映画監督賞、日本映画監督協会新人賞など、『彼女と彼』=ベルリン映画祭特別賞・主演女優賞(左幸子)、『手をつなぐ子ら』=モスクワ国際映画祭審査員特別賞があります。

当時は今以上に受賞数を積みにくい時代、映画は賞を獲得するだけが全体の評価ではありませんが、これも評価の一つです。



独立映画会社 羽仁プロ 羽仁進プロダクション ATG 日本アート・シアター・ギルド キネマ旬報ベストテン 教室の子供たち ブルー・リボン賞 教育映画祭一般教育部門最高賞 絵を描く子供たち キネマ旬報ベストテン短編第1位 

法隆寺 ロカルノ映画祭短編映画最高賞 文部省芸術祭賞 不良少年 キネマ旬報ベストテン第1位 キネマ旬報ベスト・テン日本映画監督賞 

日本映画監督協会新人賞 彼女と彼 ベルリン映画祭特別賞・主演女優賞 左幸子 手をつなぐ子ら モスクワ国際映画祭審査員特別賞





不良少年 羽仁進 山田幸男 RFD-1149 [DVD]
不良少年 羽仁進 山田幸男 RFD-1149 [DVD]

不良少年(1961)』は製作は岩波映画、配給は新東宝でしたが、劇映画で素人俳優を起用するという概念を定着させた受賞作の明確なスタート的、記念碑的な要素があります。素人のため、最初から演技が上手いできないとわかっていることを意識した、演出や映像、カメラの使い方、音声音楽の起用など、さまざまな革新的な要素のスタートです。



ちなみに主演の素人俳優の山田幸男は『不良少年(1961)』の作品が評価されたことで、翌年の1962年の製作は新東宝、配給は大映の『悲しみはいつも母に』(母親女優で知られる名優の望月優子が主演した母物映画、監督は巨匠の中川信夫)にメインキャストで息子役、1963年の日活映画『川っ風野郎たち』(監督は若杉光夫)にも助演で出演していますが、映画出演はこの3本のみに留まっています。

不良少年は1956年の東宝映画『不良少年(1956)』(監督は谷口千吉)、1980年の東映映画『不良少年(1980)』(監督は後藤幸一)にも同名映画が存在しています。そのため(1956)の西暦を付けて差別化しています。



後藤幸一は羽仁と同様に『正午なり』(1979)でATG映画で監督している共通点だけでなく、不良少年の同名映画『不良少年(1980)』のタイトルによる共通点も存在しています。

羽仁は『不良少年(1961)』以降も、たとえば全ての出演者が素人でないにしても、プロの俳優は主要のみのでその他は素人の起用などのように、変化を付けながらもd素人を起用すると路線をライフワーク的に撮りつづけています。またプロの俳優たちにも演じすぎない自然な演技を作品に応じて要求するなど、この後の多くの監督にも影響を与えており、これらも評価される部分でしょう。




不良少年(1961) 不良少年(1956) 谷口千吉 不良少年(1980) 後藤幸一 正午なり 山田幸男 悲しみはいつも母に 母親女優 望月優子 川っ風野郎たち 若杉光夫 悲しみはいつも母に 中川信夫




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2020/03/16 23:16 | 邦画の探求COMMENT(1)TRACKBACK(0)  

浅野内匠頭を超えて内幕の忠臣蔵千姿万態 岡部美濃守役から映画社長と女優のガッチンコ





歴代映画俳優から人気タレントグループ(テレビが良く魅せるためにブランド価値を高めるためにアイドルだと決め付けている彼女ら、主な活動は深夜番組と広告、たまにゴールデンのゲストのテレビタレント)の時代になっても パパ活と枕営業は過去も現代も続いています。疑惑が現実なのか、ここにも迫ります。




岡部美濃守が主演の忠臣蔵映画は片岡千恵蔵(主演本数350近く)と長谷川一夫(主演本数280近く)の日本映画歴代ナンバーワンを競う超ライバル同士が演じています。

忠臣蔵映画(関連作も含む)における大石内蔵之助役(千恵蔵5作、長谷川1作)や浅野内匠頭役(千恵蔵13作、長谷川4作)だけではない、別の共通点です。この部分が2人の忠臣蔵において意味がある部分だと考えています。




今回も独自な切り口の事実の提示、皮肉りや疑惑への批判、芸能の現代と過去のつながり、真の日本映画の魅力も盛り込んで、多彩な要素を詰め込んでいます。「浅野内匠頭を超えて内幕の忠臣蔵千姿万態 岡部美濃守役から映画社長と女優のガッチンコ」のスタートです。




第92回アカデミー賞イエスタデイ アメリカン次郎長誕生とカメラが2度激写した有名女優の谷間3パイ勝負



*ガッチンコは映画対決以外の映画関係者の交わる意味も含んでいるとしたら・・・この後 真相へ






浅野内匠頭を超えて 岡部美濃守の忠臣蔵映画





忠臣蔵映画は大石内蔵之助や浅野内匠頭だけではありません、実に多彩、大まかに数十方向に分裂、ここまで多彩に発展した題材は世界的にもほぼありません。それほど忠臣蔵映画は優れた題材です。先人が現代人為伝えてくれた残してくれた伝えなくれはならない”日本人や日本映画の宝”です。その宝の一つを示すのが岡部美濃守です。



岡部美濃守の忠臣蔵映画の話は講談が元だとされ、それを元に林不忘がデフォルメなどを加えて小説の原作を書き、映画として栄映像化に至ります。後に吉良上野介を刀傷する浅野内匠頭の前に、吉良上野介の接待役(勅使など)を任された人物と描かれて、岡部も浅野と同様に吉良からのいじめを受けましたが、



岡部はワイロやいじめに耐え続けた人物、さらに吉良に仕返しをした人物としても描かれています。浅野内匠頭は吉良へのワイロは正義感を貫いたと描かれますが、刀傷を起こすため、いめには負けてしまうことになります。

この互いの吉良を通じた岡部と浅野の共通点と差異を描いている部分が、忠臣蔵の面白さを側面から高め、題材のリスペクトにもつながり、岡部美濃守の忠臣蔵映画の上位の魅力といえるでしょう。片岡千恵蔵長谷川一夫が忠臣蔵映画の多様性をさらに拡大させた、面白くしたといえるでしょう。









大石内蔵之助
 日本映画の宝 講談 林不忘 浅野内匠頭 吉良上野介 接待役 勅使 ワイロ 岡部美濃守 片岡千恵蔵 長谷川一夫 忠臣蔵映画









片岡千恵蔵の岡部美濃守を演じた忠臣蔵映画







片岡千恵蔵の岡部美濃守を演じた忠臣蔵映画>

1931『元禄十三年』 製作=千恵プロ(片岡千恵蔵プロダクション 配給=日活
監督=稲垣浩 脚色=伊丹万作 原作=林不忘 撮影=松村清太郎 音楽=サイレント映画のためなし

~主要キャスト~
岡部美濃守、その弟の岡部辰馬(2役)=片岡千恵蔵 主演
糸重(辰馬の妻)=入江たか子 ヒロイン
吉良上野介=三桝豊 助演の主要
土屋相模守=市川小文治 助演


*千恵プロ(略称)=片岡千恵蔵プロダクション=千恵蔵による映画を100本強を製作し、もっとも大当たりした映画スターのよる戦前の映画会社。数多くのライバルと対し、もっとも多数の名作やのちの巨匠、名匠、大撮影者、名優と重役の輩出、明朗時代劇(のちの東映の時代劇や現在中心の時代劇)、股旅時代劇、喜劇時代劇などのいくつかの映画ジャンルの形成など、多数の伝説を残し、のちの日本映画に多彩で深く貢献。




監督は千恵蔵と名コンビで数多くの名作を残し、映画監督として大ブレイクの時代劇映画歴代の大巨匠の稲垣浩、脚色は千恵蔵との名コンビでいくつかの名作を残し、脚本家や原作者としても評価が高く、後世への影響も大きい多彩に活躍した時代劇映画作家&映画作家の伊丹万作、さすがに千恵蔵×稲垣×万作の日本映画史の稀代の名トライアングル、この映画そこそこな評判だったようです。


大石と浅野は登場していない映画、一時は恋仲、世紀の大カップルともなったといわれる大スター同士、千恵蔵と入江たか子の最初の劇映画の主要共演作(劇映画以前は日活撮影所の幻のドキュメンタリー映画1931年の『日活オンパレード』が初共演)です。映画監督&貴重な映画の語り部を続けている大林宣彦は、14年ほど続いている自分のCS番組「大林宣彦のいつかみた映画館」で、自分の作品に起用したとき、晩年の入江たか子に千恵蔵との秘話を聞いたと何度も語っています。



あの田中絹代とも一次的に競い合った戦前を代表する映画女優の入江たか子は、長谷川一夫とも多数共演していますが、彼ではなく、恋仲が破綻して以降も亡くなるまで千恵蔵を大尊敬していた。これは何を物語り、意味しているのでしょうか。俳優や映画製作者だけではなく、人間的にも非常に優れていたのではないでしょうか。



さまざまなエピソードがそれぞれで残させていますが、長谷川一夫は監督ともめるなどの頑固で馬鹿まじめ、片岡千恵蔵は多様性を重んじ、自分だけではなく周囲思いの親分肌だったといわれています。もちろんこれもほんの一部分です。



映画女優 (1957年)
映画女優 (1957年)

のちの後輩映画女優たち、原節子や吉永小百合の清純派女優&イメージ女優の存在にも多大な影響を与え、現代に日本の清純派女優&イメージ女優の形成に大きく貢献した伝説の映画女優、入江たか子に関するエピソードの一部が垣間見える書籍





林不忘 松村清太郎 千恵プロ 片岡千恵蔵プロダクション 明朗時代劇 股旅時代劇 喜劇時代劇

稲垣浩 映画作家 伊丹万作 千恵蔵×稲垣×万作 日本映画史の稀代の名トライアングル 

世紀の大カップル 日活撮影所 日活オンパレード 大林宣彦のいつかみた映画館 田中絹代 原節子 吉永小百合 清純派女優 イメージ女優 伝説の映画女優 入江たか子






長谷川一夫の岡部美濃守を演じた忠臣蔵映画







<長谷川一夫の岡部美濃守を演じた忠臣蔵映画>
1957『刃傷未遂』  大映(京都)=岡部美濃守 大石は登場なし

監督=加戸敏 脚色=伊藤大輔 原作=林不忘 撮影=牧田行正 音楽=鈴木静一

~主要キャスト~
岡部美濃守=長谷川一夫 主演
糸重=岡田茉莉子 ヒロイン
吉良上野介=柳永二郎 助演
岡部辰馬=勝新太郎 助演
浅野内匠頭=夏目俊二 脇役




加戸敏は、長谷川一夫の戦後の最大の当たり役の「銭形平次シリーズ」(別名「銭形平次捕物控シリーズ」を4作監督、長谷川とのコンビはこれを含む13本の娯楽路線の映像化監督=プログラムピクチャー)、また、長谷川こ後継俳優の市川雷蔵の主演作は6作、助演含むと10本強を監督しています。その後は映画監督を辞めてから競馬の評論家、解説者としても知られています。個人的にも何本も視聴していますが、大映らしい芸術感覚をちらつかせながら、主演のスターを上手に魅せるのが得意です。


長谷川一夫の『刃傷未遂』の岡部美濃守は26年ほど前に片岡千恵蔵が演じていますし、1931『元禄十三年』と同じ、丹下左膳や大岡政談などの代表作を残した林不忘の時代小説原作のリメイクです。『刃傷未遂』は『元禄十三年』と同様に大石は登場していないですが、浅野は登場(『元禄十三年』は登場しない)し、大映時代劇の1955~1960年の出演履歴を持つ、青年役メインの脇役俳優の夏目俊二が演じています。

元禄十三年』では千恵蔵が演じた美濃守と2役で演じた弟の岡部辰馬は勝新太郎が助演で演じていますし、入江たか子の演じた糸重は東宝から松竹へ移籍する微妙な時期の岡田茉莉子、

吉良上野介は大映や東映の時代劇中心に多数の有名な役柄を演じた助演俳優の柳永二郎。彼は映画と舞台の両輪の名優として知られ、日本映画黄金期に助演の重鎮俳優として多くの名作に出演しています。柳永二郎は個人的にも多数の作品で視聴しているのですが、邦画歴代上位に評価している助演俳優の一人で、悪役が多め、助演として抑え気味にしゃべりや雰囲気を出し、にごしも上手な俳優です。




元禄十三年 (青空文庫POD)
林不忘
青空文庫 (1970-04-15)

元禄十三年 (青空文庫POD)
時代小説家の林不忘の元禄十三年のオンデマンド版



元禄十三年(ゴマブックス大活字シリーズ)
林 不忘
ISM Publishing Lab. (2017-01-20)

元禄十三年の書籍、通常の書籍よりも文字を大きく拡大したバージョン、年代に問わずに気軽に読める、こちらもオンデマンドです。





伊藤大輔 鈴木静一 岡田茉莉子 柳永二郎 勝新太郎

加戸敏 銭形平次シリーズ 銭形平次捕物控シリーズ 映像化監督 プログラムピクチャー 市川雷蔵 競馬評論家 競馬解説者 丹下左膳 大岡政談 夏目俊二 オンデマンド書籍









長谷川一夫と名プログラムピクチャーの秀作映画 イマイチだけどイマイチではない付加価値







1957『刃傷未遂』の映画監督の加戸敏と長谷川一夫のコンビについてですが、個人的には秀作『山田長政 王者の剣』が印象に残ります。これは戦国の武将の山田長政が朱印船で外国、現在のタイへ渡り、現地で妻子を得て、自身は重臣に恐れられるほどの急激な出世を遂げ、タイ王国の存亡の危機を軍勢を率いていくさに勝利するなど、タイ王国の発展のために尽力、最後にはかなく散りゆく日本人の姿を描いた秀作が『山田長政 王者の剣』です。


長谷川一夫は、元歌舞伎の女形だったことから生涯を通じて、女性の雰囲気を漂わす中性的な演技を得意とした俳優、十八番の一つがかなく哀歓(意味=かなしみとよろこび)を込めて散る男の滅びの美学、この作品は晩年の彼のお家芸の一端を見え隠れさせてくれます。この映画は多額の制作費をかけた作品でしたが、興行的には失敗だと記録が残され、長谷川自身のキャリアにとってもさらに両御大(千恵蔵と右太衛門による日本映画の二大トップスターを表現する言葉)との差をさらに広げる結果となり、大映映画にとっても打撃でした。


山田長政 王者の剣』の公開当時、戦前の長谷川を知る年配ファンならそれなりに満足できたでしょうが、戦後から映画を見始めた若い新しい観客の獲得は非常に厳しかったでしょうし、現実に全体は地味な映画です。

片岡千恵蔵と市川右太衛門(両御大)のように、異なる華やかと唯一無二の個性を押し出し、我が意思を凄みで貫く、独自な花道を飾るのわけではなのでなく、長谷川のように演技で避けるように力強さに欠け、憂鬱さと哀しさが漂う映画は知識と視聴経験の薄い若い客層には彼の魅力は理解できませんでした。


長谷川一夫の戦後の大映時代は、戦前からの長期ライバルの東映の片岡千恵蔵や市川右太衛門のように、戦後からの若い観客を獲得できずに大苦戦、現実に興行成績や観客動員の全体的な大差を付けられています。


邦画は1959(昭和34)年は1955年から5年連続8億人を記録の10億8810万人を記録し、邦画は3年連続10億人大台に到達、いわゆる日本映画の最大の黄金期の最中でしたが、『山田長政 王者の剣』(1959)はこの大きな好調の流れに上手に乗れずに失敗した作品でした。ですが、内容の良し悪しは興行成績や観客動員と同様の不振通りとは限りません。


1950年代中盤以降の大映時代劇映画(大映映画そのもの)は全体的に、東映の時代劇映画に大ヒットやヒットさえ、大きな差を付けられていたので大当たりは少ないのが現実です。現代も同じですが地味な印象の作品が多いので基本は客が入りませんが、地味なら映画内容が悪いというわけではありません。観客動員だけではない作品の価値を与え、新たに再評価していくことも映画の魅力、『山田長政 王者の剣』も新たに観ていく、また当時視聴済みでも観直す価値がある映画です。






朱印船 タイ王国 歌舞伎の女形 市川右太衛門 5年連続8億人 3年連続10億人 山田長政 王者の剣






大映社長と縁がある女優 日タイ初映画 まさかの国民的俳優の相手役を勝ち取る私生活







『山田長政 王者の剣』はCS放送のハイビジョン画質版で何度か放送されています。商品化のVHS化はされていますが、残念ながらDVD化はされていないようです。若尾文子はタイで暮らしていて、朱印船で日本へ帰ってしまう序盤のヒロイン的な役柄の日本人女性を演じ、涙の別れ、全体的には第2ヒロインの配置(事実上の助演でもある)ですが、




山田長政 王者の剣 [VHS]
山田長政 王者の剣 [VHS]



中田康子(元宝塚女優、東宝(=東京宝塚映画)から大映映画を拠点とした全体は、助演と脇役の女優を中心とした活動、ヒロインは極わずか、80作ほどの映画に出演しましたが、特に映画女優としては大きな成果はなし、永田雅一と私生活で男女関係があったとされている)が、タイ王国の王女役(ヒロイン役)を演じています。



この不思議な配役には永田雅一の存在が影響していると考えるのが普通でしょう。出演時の中田康子は出演本数は踏んでいるものの、目立つ大きな活躍がないため、私生活の関係がなければ、普通はとれない配役(長谷川という国民的な俳優の相手役)だからです。つまり結論的には枕営業(パパ活)の疑惑が伴います。そう、これは2020年の現代のある疑惑ともつながります。

この疑惑に関するテレビ会見を早くお願いいたします。彼女らのファンが多数いるわけで、まさか”このまま逃げる”ということはないでしょうね?



最近、テレビがコロナウィルスの情報洗脳ばかりを盾にして、マスコミが一団となり一切報道しない、欅坂18歳(欅坂46平手友梨奈、現在がグループ脱退)と欅坂46などのプロデューサー秋元康の人並みならぬカンケイ、不思議で過剰な優遇、週刊文春の現場激写などの疑惑もちらつきます。2019年の立花孝志のときと同様にフタにセンをして纏(まとい)持ちの様に火消しています。欅坂の18歳の件は、今回の映画の永田と中田に通じる部分があり、非常に驚きました。




この映画『山田長政 王者の剣』が中田康子の代表的なものと考えられます。主題歌(オープニング、劇中の別バージョンあり)も印象に残るものであり、創立順の東宝、大映、東映などで活躍した名音楽家の鈴木静一の曲がちょうどよく映えています。


さらにこの映画は、タイ映画のアスピン・ピクチャー社の社長のバヌー・ユガラと大映の社長の永田雅一の共同制作、日タイ合作映画、日本とタイの共同制作映画はこれが初とされています。映画は外国との絡みが全てではありませんが、初があるという面でも意味がある作品だということもわかります。



bb2736『山田長政 王者の剣』spポスター 市川雷蔵 長谷川一夫 中田康子 根上淳 若尾文子
bb2736『山田長政 王者の剣』spポスター 市川雷蔵 長谷川一夫 中田康子 根上淳 若尾文子

貴重なポスターのひとつです。『山田長政 王者の剣』はいくつかポスターが現存しています。リンクは市川雷蔵が最初ですが、彼は作中の3番手の役柄だと認識しています。タイ王国で将来を有望視されるタイ人の若手重臣役で登場します。長谷川一夫、中田康子、市川雷蔵、根上淳、若尾文子、永田靖の表記が劇中の出番と主要から助演の順だと判断しています。





第2ヒロイン
 元宝塚女優 東京宝塚映画 タイ王国の王女

枕営業 パパ活

コロナウイルス 平手友梨奈 欅坂46 秋元康 週刊文春 立花孝志


タイ映画 アスピン・ピクチャー社 バヌー・ユガラ 大映の社長 日タイ合作映画 中田康子 市川雷蔵 根上淳 若尾文子 永田靖





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