村田実から黒澤明へ大尊敬ホント理由 ロシア文豪&ロシア映画の壮絶左バディ
「村田実から黒澤明へ大尊敬ホント理由 ロシア文豪&ロシア映画の壮絶左バディ」
左の翼という面でも同じ共通点を持つ、悪くいうと”外国かぶれ”ともいえる
村田実と黒澤明のつながりについて更に迫ります。
前回記事にも登場していますが、ご存じない方もいるかもしれませんが、黒澤は村田を尊敬していました。
大きくいえば、何故なら、”自分が彼のおかげで存在できている”からに他なりません。
ご存知な方も多いかと思いますが、村田実と黒澤明は外国的な日本映画(外国の影響(事実上の真似)が強く、外国風な雰囲気や演技、描写などの日本らしさが5割以下の弱めな映画)を多く監督しただけではなく、作品を通じた明確なつながりも存在しており、今記事はそのいくつかに迫ります。まさに壮絶左バディです。
前回記事⇒数十の功績の前例稀なる44歳の若さで逝去した左側巨匠の真実 破天荒俳優の先駆
村田実 黒澤明
共産主義国家ロシアつながりの2名の左の翼
両名の一つのつながりといえば、村田実の初期の代表作1921年『路上の霊魂』と黒澤明の1975年『デルス・ウザーラ』です。
この2作は監督の個性でもつながりがあるだけではなく、ロシア映画やロシア文豪でつながっています。
『路上の霊魂』はロシアを代表する文豪のマクシム・ゴーリキー(1868~1936、1902年の『どん底』がもっとも有名、ポケモンのゴーリキーと同名と、コロナでゆかりのある旅館の閉店が決まっている、森鴎外も和訳したドイツの文豪のヴェルヘルム・シュミットボン(1876~1952、1901年の『町の子』 がもっとも有名)の原作を組み合わせたといわれています。ここでロシアの文豪のマクシム・ゴーリキーガ登場します。さらに『デルス・ウザーラ』はロシアの映画会社で制作された日本人監督によるロシア映画です。二つに共通するのが共通するのがまさにロシアです。
また黒澤は1951年の『白痴』(黒澤が専属の東宝から松竹に出向して監督)はロシアの文豪のフョードル・ドストエフスキーの原作 『白痴』(1868年)でロシアとのつながりがもう1作存在します。
これはロシアを日本人や日本を舞台へいじくって映画にした作品です。単なる個人的レベルですが、黒澤の全31の監督作の中でもっとも評価している作品の一つが1951年の『白痴』です。精神的な障害を持ち、不思議な雰囲気を持つ白痴の青年を中心に、二人の性格と雰囲気の異なる女の間で揺れ動く、また男らしい友人を中心にした若者の喜怒哀楽を独特に描く群像劇です。
日本映画や外国映画に非常によくある内容ですが、実に上手に外国的な要素を随所に定着させています。監督は4時間以上(4時間25分)の公開を求めていましたが、松竹側が長すぎて観客側を無視していると許さず、分数を大幅にカットされて公開した完成版166分(2時間46分)です。長すぎても制作側の自己満足になるためです。
*白痴=重度の知的障害を指すことが基本的です。
実は村田実の1930『この太陽 第一篇』 、1930『この太陽 第二 多美枝の巻』、1930『この太陽 第三篇』も若者の青春群像劇です。これは偶然なのでしょうか。1951年の『白痴』と映画内容の多くにつながりがあります。この太陽は時代小説「丹下左膳」が大きな代表作の”林不忘の別名義の牧逸馬”による原作、林不忘が外国作家の影響を受けた明確な理由は不明ですが、戦前の当時の現代小説は今以上に外国小説の影響が大きく、結果として関連している風に思えます。
林不忘は作家の時点ですでに文豪だったフョードル・ドストエフスキーの『白痴』を読んでいることは基本です。影響を受けていても自分の作品に傷が付きかねないため、影響と認めない影響が存在しています。

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この「キネマ旬報別冊/昭和33年11月号日本映画代表シナリオ全集 6」に村田実の初期の代表作1921年『路上の霊魂』のシナリオが掲載されています。写真は偶然でしょうか、黒澤の実の師匠(助監督として1939『忠臣蔵 後篇』などに付いて映画を学んだ)の山本嘉次郎の代表作の一つの1941年の『馬(1941)』のシナリオの写真です。黒澤明自身も製作主任としてこの『馬(1941)』に参加しています。
1921年『路上の霊魂』は現存する松竹映画であり、CS放送(松竹が運営している衛星劇場や東映の東映チャンネル)などで何度か放送されていますが、作品そのものが商品化されていないのが残念です。
路上の霊魂 デルス・ウザーラ どん底 森鴎外 ヴェルヘルム・シュミットボン 町の子
重度の知的障害 この太陽 第一篇 丹下左膳 牧逸馬 林不忘 フョードル・ドストエフスキー
外国かぶれ
山本嘉次郎 製作主任 衛星劇場 東映チャンネル
『白痴』と「この太陽」3部作の意外な配役俳優の共通点や系図
『白痴』は森雅之、原節子、久我美子、三船敏郎がメインキャスト
「この太陽」3部作は小杉勇、夏川静江、、島耕二、入江たか子がメインキャスト
役柄に白痴は存在しないものに、配役も「この太陽」3部作に似ている。
2つの上位キャスト4名が男2女2の同じ組み合わせの4名、さらに両方の4名ともが全て名優である。
映画『白痴』(原作は別問題として)のメインキャストは「この太陽」3部作のメインキャストの影響を意図して真似たかは断言できませんが、意図せず結果的に受けていたといえます。
また、考え方のもよりますが、
起用した俳優も結論として、系図になっていることに驚かされるこの2作の共通点です。
「この太陽」3部作と『白痴』の2作における系図
小杉勇,⇒三船敏郎
島耕二⇒森雅之
入江たか子⇒原節子、久我美子
『白痴』は森雅之、原節子、久我美子、三船敏郎がメイン
「この太陽」3部作は小杉勇、夏川静江、、島耕二、入江たか子がメイン
『白痴』の当時のポスターには三船はメインから除外されています。あくまで森雅之、原節子、久我美子の三角関係だという扱いですが、個人的にはメインの一人の無論の4番手だという評価です。
歴代上位映画俳優系図 三船の系図の影に千恵蔵とバンツマから小杉勇
若いときの戦前の主演全盛の小杉勇と戦後デビューの三船敏郎は男らしさを押し出した役柄が多く、現代劇のみの路線としては近い部分があります。『白痴』以外の系図の部分に触れますと、三船敏郎は全般と時代劇における面だと、先生より上の歴代数少ない御大俳優といわれた片岡千恵蔵の一面も影響(三船は宮本武蔵、新撰組の近藤勇、忠臣蔵映画の俵星玄馬=俵星玄蕃など多数のリメイク)もありますが、俳優の路線全体は特にバンツマこと阪東妻三郎の系図の俳優(三船は無法松の一生などのリメイク)に当たるとも考えています。黒澤と喪つながりがある、三船が2020年が生誕100年ということで少し触れていきましょう。

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小杉勇というと晩年の1950年代後半の”映画監督兼助演俳優時代”に日活や東映の大ヒット映画に助演俳優として出演しました。当時のみを観ている方々、特に70~80歳の世代には石原裕次郎の日活の現代劇映画の印象も強いことでしょう。石原裕次郎の1956年のブレイクから2年目の1957年『俺は待ってるぜ』は主演に近い助演の役柄で出演しており、出演俳優の中でもっとも実積があるのが小杉勇です。
バンツマと三船は、互いに通産の出演映画の役柄において弱さをあまり見せない男らしさ、男気を押し出した俳優です。現実にいくつかのリメイクがいくつかあります。実は作品や役柄の影響はテレビを含めると忠臣蔵の大石内蔵助(連続ドラマの大忠臣蔵で演じている)や大久保彦左衛門(東映の1時間ドラマで田中美佐子と共演し演じている)もあるため、片岡千恵蔵の影響のほうが多いわけですが、
千恵蔵は男気、自分の生き様を貫く役柄の演技だけではなく、明朗演技、ナンセンス演技(喜劇的演技)でも多彩に深く当たった歴代稀な映画俳優、三船は残念ながら多彩さは乏しく薄く、同じ演技が定着した世の中にもっとも多い一方向系演技の俳優、俳優の系図は阪東妻三郎と通じています。バンツマも多彩に挑戦はしたのですが、基本は一方向を抜け出せずに定着はしませんでした。
小杉勇は晩年の戦後は助演の演技派として活躍したため、晩年の2人は異なります。三船はデビュー時から晩年まで演技の路線は同じでした。島耕二はときどき愁い弱さのある青年さを押し出した二枚目役が多く、『白痴』の森雅之の白痴の青年の主人公とつながりがあります。
原節子、久我美子は入江たか子の流れを受けた系図の俳優とも言われます。清純派の概念を定着させたのが入江たか子だからです。香川京子、吉永小百合など多数、今でいうと20~30代の若い層に人気がある新垣結衣なども、この流れに当てはまります。
『白痴』の久我美子は金持ち令嬢、辛く当たりながらも優しさもある品格のある美人女性として描かれ、『白痴』の原節子は奇怪な考えの謎の女、異常な風格を持つ魔性の女として描かれていますが、彼女らの全般は清純系です。原節子の全般的な印象の清掃さと優しさと異なるイメージの役柄を演じているといえます。彼女の視聴可能な映画の中でも非常に異質な役柄です。
「この太陽」3部作 三船敏郎 宮本武蔵 片岡千恵蔵 阪東妻三郎 バンツマ
新選組 近藤勇 忠臣蔵 俵星玄馬 俵星玄蕃 系図の俳優 無法松の一生
石原裕次郎 俺は待ってるぜ 大石内蔵助 大久保彦左衛門 田中美佐子
森雅之 夏川静江 小杉勇 島耕二 入江たか子 久我美子 原節子
3名の俵星玄蕃 三波春夫のと千恵蔵と三船の三槍
俵星玄蕃は、映画の有名どころのみだと、三船敏郎が東宝の1962年の『忠臣蔵 花の巻 雪の巻』の助演で演じていますが、片岡千恵蔵が1959年の東映時代劇映画『血槍無双』の主演で演じています。

定番ベスト シングル::元禄名槍譜 俵星玄蕃/豪商一代 紀伊国屋文左衛門 [ 三波春夫 ]
俵星玄蕃は歌だと名歌手の三波春夫が有名です。
以前記事で取り上げた100年を越すミニシアター映画館の北海道の大黒座に公開当時の子供たちの長い行列写真に収められている作品です。作品も素晴らしいですが、『血槍無双』のオープニングの東映社名の前奏曲部分は特に素晴らしい曲の入りで、印象に残ります。
ご存じない方もいるかもしれませんが、三船は宮本武蔵以外にも千恵蔵の演じた役を後追いで多数演じています。宮本武蔵を映画=映像作品で最初に代表的役柄にしたのは千恵蔵です。三船はあくまで2番目(3番目は中村錦之助=萬屋錦之介)なのです。三船の俳優の個性における系図はバンツマほうが強いと考えられますが、題材的な系図は千恵蔵のほうがバンツマよりも大きく影響を受けているといえます。
俵星玄蕃は、テレビドラマだと1969年の東映時代劇『あゝ忠臣蔵』で長門勇が演じています。これが特に印象に残るもので、3つとも視聴可能な作品です。『血槍無双』はCS放送の東映チャンネルのHD画質で何度か放送されています。
忠臣蔵 花の巻 雪の巻 血槍無双 あゝ忠臣蔵 長門勇 中村錦之助 萬屋錦之介 大黒座
三波春夫の忠臣蔵歌謡の名曲「元禄名槍譜 俵星玄蕃」
三波春夫の代表曲の一つがいわゆる忠臣蔵歌謡(事実上の忠臣蔵題材の演歌)と題されるジャンルの「元禄名槍譜 俵星玄蕃」です。槍に生き、赤穂浪士に共鳴した赤穂義士の天下一代男(唯一無二の男)の意気と人情、心の清さ、生き様を歌い上げた日本史上の名曲です。
血槍無双 [VHS]
自身の浪曲時代の技を駆使した洗練された歌唱具合としゃべり口の独自個性、共感性の三無双、日本人とは何かを考えさせられます。
動画名は「三波春夫 〜元禄名槍譜 俵星玄蕃〜」です。ラジオ番組のNHKのラジオ深夜便の歌のコーナーでも何度も流れています。歌謡曲の中でも数少ない異例の9分ほどの分数、NHK紅白歌合戦でも数度披露しています。動画のコメント陣は泣いています。10代~30代の彼の全盛期を知らない若い客層にも聞いていただきい名曲です。
三波春夫 忠臣蔵歌謡 元禄名槍譜 俵星玄蕃 赤穂義士 NHK紅白歌合戦 ラジオ深夜便
「元禄名槍譜 俵星玄蕃」と同様、映画も歌も同様に年代や時代はカンケイがありません。ただ多少な知識や見聞(映画視聴者としてのレベル、経験値)があると過去はもちろん、現代、未来の映画も理解度が高まります。
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2020/05/15 19:26 | 邦画の探求 | COMMENT(0) | TRACKBACK(0)