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発見の大スターフィルムは物語る 右太衛門の絆”阪妻さん”の映画葬 佐伯幸三と内田吐夢の戦前戦後大逆転 優越活躍作家の前田曙山




発見の大スターフィルムは物語る 右太衛門の絆”阪妻さん”の映画葬 佐伯幸三と内田吐夢の戦前戦後大逆転 優越活躍作家の前田曙山






時代劇六大映画スターに数えられる2大俳優のキズナ、尊敬か売名か、影響なのか、パクリ疑惑も孕み、多彩な部分に踏み込んでいます。

さらに有名映画監督の戦前と戦後で共通点を残した大逆転、周五郎も豊子も凌駕のマスコミが伝えぬ大活躍作家の前田曙山も登場、






前回記事
坂本龍馬&近藤勇&桂小五郎&じゃんけん女のグレイテスト競演 新選組in「燃ゆる渦巻」 駅の前BEST3






佐伯幸三と内田吐夢 意外な共通とレアケースと戦前と戦後で大逆転






佐伯幸三は中島宝三ほどではありませんが、110本を越す多作の名監督です。中島宝三監督については前回に触れています。戦前のデビュー当時は時代劇が大半ですが、戦後は現代劇が大半、戦前と戦後が逆転しています。こうしたケースの映画監督は歴代においても珍しく、たとえば戦前と戦後を通じて膨大な名作数を残した大巨匠の内田吐夢、彼の戦前はほぼ現代劇、戦後はほぼ時代劇の、非常に珍しいパターンと似ています。逆縁は共通点ですが、下記で取り上げる、ある部分においては真逆さを持ち合わせています。



内田吐夢 中島宝三



内田吐夢と佐伯幸三 時代劇と現代劇が戦前と戦後で逆転、

内田吐夢 戦前はほぼ現代劇監督⇒戦後はほぼ時代劇監督(現代劇⇒時代劇)
佐伯幸三 戦前はほぼ時代劇監督⇒戦後はほぼ現代劇監督(時代劇⇒現代劇)

この両者は時代劇と現代劇が戦前と戦後で逆転、



内田吐夢と佐伯幸三は戦前と戦後の路線が逆転の共通さがありながらも、戦前と戦後の時代劇と現代劇の逆転部分は大きく異なります。この両名において、共通点と共通しない部分が混合しています。これも非常に珍しいケースです。

戦前と戦後の映画最盛期だから実現できた珍事であり、日本映画史の幅の広さを伝える一部分です。



佐伯幸三




あの生ゴミたちが彼のことを伝えない 周五郎も豊子も凌駕の大活躍作家の前田曙山







多く映画化された「燃ゆる渦巻」の原作の前田曙山(まえだ しょざん)は戦前の時代小説の人気作家で、映画化の上位代表作は「燃ゆる渦巻」、「情熱の火」、 「落花の舞」、「孔雀の光」、「日本巌窟王」の5つにも登ります。映画化作品は膨大な60本を越し、日本の作家史上、歴代20位圏内に位置します。このことからもかなりの人気と活躍があったと考えられます。


ですがテレビなどの狂いマスコミが彼のことを伝えないことに大きく憤りを感じます。膨大な映画関係者を把握していると多くのことを知る機会がありますが、マスコミは事実を無視しても、先人が現代人より活躍していることは、取り上げたくないように思えてしまいます。


日本巌窟王のテレビドラマ

前田曙山の原作ではありません、小野田勇の脚本です。タイトルが同じため紹介しています。1979年にNHKで放送された「日本巌窟王」の第20話「黄金の挑戦」とあります。映画の日本巌窟王をイメージさせる貴重なものです。



小野田勇 日本巌窟王のテレビドラマ


情熱の火 落花の舞 孔雀の光 日本巌窟王



ちなみに山崎豊子は10本強の映画化、山本周五郎は35本ほどの映画化に留まっています。ですが、前田曙山は60本強です。

じょせいがーーの誇張、いまがーーーの、」イメージつくりの偽善だらけのマスコミたちにモノ申す。



山崎豊子 山本周五郎


前田曙山
松山宗三郎 大乗寺八郎






知られざる新旧交代交錯映画 阪妻と松之助の2大スターの競作の同題材の出演  ”阪妻さん”の映画葬






前回記事において取り上げている「燃ゆる渦巻」、この題材の映画はただの競作ではなく、日活版に旧大スターの尾上松之助、マキノ版に新大スター阪東妻三郎(この映画ののちに大きく飛躍、国民的流れに入る)と非常に奇跡的な出演が実現した日本映画史に残る重要な映画です。

ただ単に日活とマキノの牧野省三の創立した両社やその影響を受けた映画スターたちの競い合いだけではありませんでした。



燃ゆる渦巻



【TBSスパークル】1953年7月11日 ”阪妻さん”の映画葬(昭和28年)


この動画はTBS系のチャンネル「TBSスパークル」が阪妻死去のときの映像を動画として紹介しているものです。下記「発見された大スターの葬儀フィルムが物語るバンツマと右太衛門の絆」のWOWOWの葬儀の映像内容とはまったく異なります。

映画俳優としては日本最初の映画大スターの尾上松之助(主演世界記録の900本以上を記録)以来となる、大規模な葬儀だったといえます。現在のようにSNSやテレビなど、すぐに話題が広まって動ける時代ではなく、移動手段が困難な時代、その中でも多くの人々が集まっていることがわかります。



”阪妻さん”の映画葬

TBSスパークル 尾上松之助


劇中では燃ゆる渦巻は初期の代表的なものの一つとして取り上げています。31秒付近です。同時に紹介されている1924年の『快傑鷹』の鳥人スター(いわゆる時代劇系のアクション俳優の祖とも称される場合もあり)ともいわれた、先輩の高木新平の相手役で注目されました。


快傑鷹 鳥人スター 高木新平





発見された大スターの葬儀フィルムが物語るバンツマと右太衛門の絆






両者の初共演は大映第1回作品の名作『維新の曲』(1942)(大映第1回作品)でしたが、両名の最後の共演作『大江戸五人男』(1953)で、最後の共演です。


維新の曲


両名の関わりは、デビュー初期にさかのぼります。

戦前の阪妻プロは、牧野省三のよる多額の資金の支援を受けてスタープロダクション(主演のスター俳優による映画製作会社)で、年数的に最初の大成功を収めました。これが1925年です。1925年9月公開の『異人娘と武士』が事実上の1本目とされ、2本目の1925年11月『雄呂血』が大ヒットを記録しました。



異人娘と武士 雄呂血 スタープロダクション 阪妻プロ 牧野省三



いわゆる剣戟時代劇(剣戟シーンに重点や見せ場を配置した時代劇)の形成に大きな貢献を果たしていきます。その後、明確な代表作といえるものはあまり多くはありませんが、剣戟に重点を配した多くのスマッシュヒットを記録していきました。


剣戟時代劇


阪妻プロというと、松竹との裁判沙汰、制作映画がお蔵入りになって、映画界年間の上位のニュースになるなど、複数のトラブルも存在したことでも知られています。


右太衛門はこれに次ぐ、年数的に2番目のスタープロダクションにおける成功を収めています、その後、片岡千恵蔵による千恵プロ(1928~)に事実上大きく打ち負かされた(キネマ旬報などの年間ベスト10にスタプロ歴代1位の17本がランクイン、突き抜けて最多数、さらに多彩な題材でヒット作)ともいえますが、

片岡千恵蔵 千恵プロ スタプロ


右太衛門は阪妻に刺激され、後を追って映画会社を起こし、1927年4月に1本目の映画『侠骨漢 笑ふな金平 前篇』を公開し、1930年から「旗本退屈男シリーズ」(戦後の日本映画最大の最盛期も人気を博した国民的題材)などの代表作を製作、100本を越す多作の製作本数を記録しています。1927年4月に1本目は、阪妻プロの1925年の9月の1本目から約1年半後です。



侠骨漢 笑ふな金平 前篇 旗本退屈男シリーズ


また、スタプロ歴代100本は世界的で、阪妻、右太衛門、千恵蔵の3名のみ、現在においても、燦然(さんぜん)と輝く、歴代の大記録です。

さらに右太プロの映画タイトルは阪妻プロの映画題名の影響を受けたといわれる2文字のタイトルや3文字タイトルが多く存在しています。




大江戸五人男  維新の曲 旗本奴と町奴






2文字映画題名の多用や『侠血』と『狂血』の共通点 右太衛門は阪妻のパクリをしたのか






一例として2文字のみの3本のみにしぼった映画タイトルを選出してみます。



阪妻プロと右太プロ

阪妻プロ
尊王 1926年2月公開
蛇眼 1926年2月公開
侠血 1926年5月公開


右太プロ
狂血 1927年9月に前編、10月に後編の公開
血涙 1928年9月公開
冷眼 1929年8月公開




阪妻プロの『侠血』(1926年5月公開)と、右太プロの『狂血』(1927年9月10月に前後編公開)の読み方は”きょうけつ”で同様です。一文字目の漢字を変更していて、確実に影響があるものといえます。無意識につけていたとしても2文字で読みは同じ、しかも両方共に”血の字”が2文字目に含まれています。これらの事実が存在しています。

右太プロとしては前後編の公開を実現させて、違いを見出しています。


侠血 狂血



さらに『蛇眼』と『冷眼』も上記の意味合いは近いです。漢字2文字で、読みは違いますが、2文字目の漢字が同じ、この場合は”眼の字”で同様です。


蛇眼 冷眼


この点については、生前の大林宣彦が、自身の映画紹介番組「いつか見た映画館」(CS放送で10年強を放送、その後に書籍も出版)においても、右太衛門は阪妻を尊敬し、自身の映画会社時代の製作映画題に、漢字2文字などがあると指摘しています。この影響を指摘する放送回は録画しており、最近も見直しています。

この『侠血』と『狂血』の共通点や『蛇眼』と『冷眼』については個人的に確認して紹介しています。



いつか見た映画館
 大林宣彦



韓国芸能の日本芸能のパクリとは違い、リスペクトはあったにしても、悪くいってしまえば右太衛門は阪妻のパクリをしたともいえます。これは現実の証拠が伴うものであり、隠さずに取り上げるべき部分だと感じ、本記事において実行しています。





1953年の阪東妻三郎葬儀フィルムにかけつける右太衛門の姿






2022年から約10年ほど前の阪東妻三郎生誕110年のとき、WOWOWでも放送された阪東妻三郎の特別番組において、発見された1953年の阪東妻三郎葬儀フィルムから、2大巨匠の溝口健二や伊藤大輔に次いで、右太衛門の姿を確認することができます。

録画も残されています。劇中ではバンツマ、千恵蔵、アラカンを時代劇3大スターと紹介しています。これは日活の3大スター(3大体制は1938~1942)のことを指しているかもしれません。


WOWOW 阪東妻三郎の葬儀フィルム 溝口健二 伊藤大輔


実はこの3大スター体制のときに、戦前の日本映画の戦前の年間最多観客動員が記録されており、時代劇映画は映画の質も含め、日活がトップのとき、このことからもこの3名を時代劇3大スターと取り上げていると考えられます。


共に日本映画を牽引した時代劇六大スターに数えられるバンツマと右太衛門ですが、多小の格差があったことがわかるエピソードの一つです。実は他にも格差とも思われる話がいくつかありますが、さらにそれるため、また別の機会です。

戦前や最盛期の日本映画は謎や秘密、伝説が膨大、色々と面白いことばかりです。







最後の共演映画が伝える男の生き様 重なる両名両優と食い違う両名両優の評価






220本を越す映画に9割以上主演で出演した、阪妻の映画人生の最後の大ヒット映画『大江戸五人男』(1951年11月公開)、観客動員は数百万人を記録し、年間上位へランクインしました。


あの頃映画 大江戸五人男 [DVD]




旗本奴町奴の題材でもっとも有名な幡随院長兵衛と水野十郎左衛門のエピソードを映画化、男同士の身分違いの友情と壮絶な生き様を描き、映画も数十本は存在しています。もちろん歌舞伎やテレビドラマも制作


やくざの祖とも言われる江戸時代初期の侠客の幡随院長兵衛を阪東妻三郎が演じて主演、その2番手の相手役の旗本の水野十郎左衛門を市川右太衛門が演じ、阪妻主演の最後のオールスター映画です。劇中の対峙の場面からも、右太衛門の阪妻への尊敬が確認できる映画です。



幡随院長兵衛 水野十郎左衛門




旗本奴に関する動画 気になる方はご覧ください




幡随院長兵衛に関する動画 公開時に町奴そのものの動画はありません。





共に日本映画や日本の芸能史を代表する2大スターですが、阪妻亡き後、右太衛門は主演300本に到達し、大台とも言える大記録に到達し、通算の映画の単独主演数だと右太衛門⇒阪妻は100本ほどの大差がありますが、阪妻の生前中の評価は阪妻⇒右太衛門だった部分がありました。

ですが、阪妻は「旗本退屈男」のような軽く10本を越す、突き抜けたあたり役には恵まれなかったという面では、右太衛門⇒阪妻です。彼らの様に生前とその後の評価は部分的に食い違うケースが存在します。




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2022/05/15 22:01 | 邦画の探求COMMENT(4)TRACKBACK(0)  

坂本龍馬&近藤勇&桂小五郎&じゃんけん女のグレイテスト競演 新選組in「燃ゆる渦巻」 駅の前BEST3





坂本龍馬近藤勇&桂小五郎&じゃんけん女のグレイテスト競演 新選組in「燃ゆる渦巻」 駅の前BEST3






過去は未来への鏡、映画と政治はそのまま同じではありませんが、ロシアのウクライナへの軍事侵攻も、クリミア併合の過去の続きだという事実と同様、過去を伝えることはただの懐古ではない、過去を知る事が未来へ繋がります。

今回も他では取り上げられていない展開へ着目し、ユーモアや皮肉も含めて独自に迫ります。



前回記事
日本よ強くあれ!だから問う!「忠臣蔵」115年と「007」60年と「ゴットファーザー」50年 米国大差55年負けが伝える輝き




今回の記事は下記の流れに位置します。

超絶主演映画スター市川右太衛門と映画監督たちの二桁到達の大記録たち 清水の二十八衆集合写真






燃ゆる渦巻(1924)(日活版) 坂本龍馬ではなく阪本龍馬!!










燃ゆる渦巻(1924)(日活版)

燃ゆる渦巻 前篇 1本目
林清之助=中村吉十郎 駒井相模守=実川延一郎 烈女お綾=片岡松燕 龍巻のおれん=片岡長正 近藤勇=大谷鬼若
土方歳三=中村仙之助 浅田三十郎=尾上松之助

燃ゆる渦巻 中篇 2本目
桂小五郎=尾上松之助 林清之助=中村吉十郎 駒井相模守=実川延一郎 近藤勇=中村仙之助 土方歳三=大谷鬼若 龍巻お蓮=片岡長正

燃ゆる渦巻 第三篇 3本目
林清之助=中村吉十郎 桂小五郎=尾上松之助 芹沢鴨=嵐珏松郎 近藤勇=中村仙之助 土方歳三=大谷鬼若 烈女お綾=片岡松燕 龍巻お蓮=片岡長正

燃ゆる渦巻 第四篇 4本目の完結篇
駒井相模守=実川延一郎 林清之助=中村吉十郎 桂小五郎=尾上松之助 烈女お綾=片岡松燕 阪本龍馬=沢村村右衛門  芹沢鴨=嵐珏松郎 近藤勇=大谷鬼若 土方歳三=中村仙之助




*阪本龍馬=坂本龍馬

全体の俳優に触れると膨大になるため、かなり省いていきます。新選組が上位で登場、脇役として描かれることの多い、芹沢鴨を多めに描かれていることが配役の流れがわかります。

短編中心俳優として映画950本ほどの、主演した世界記録の大スター尾上松之助は、1本目のみは浅田三十郎役、2~4は桂小五郎役、2本目が主演のように表記されています。作品の全体的には中村吉十郎の演じる林清之助役が、筆頭の主演ともいえます。




尾上松之助 桂小五郎
阪本龍馬 坂本龍馬


現在は坂本龍馬がほとんど(全体は統一)ですが、当時は阪本龍馬表記も多めにありました。






当時の映画は全体的の主演と、部分的な主演、つまりはここでいうその篇のみの主演というものが存在している場合がありました。

映画化するにあたって、その篇ごとに役柄や俳優の出番の違いを含まないとハラハラドキドキが薄れ、メリハリをつけない、視聴者が飽きてしまう、この飽きる対策の工夫の現われとも思われます。







燃ゆる渦巻(1924)(マキノ版) 桂小五郎と新選組がキーワードか!!






下記のキャストの変動からさっすると、途中から新選組を強めに描いていた可能性を感じさせます。





燃ゆる渦巻(1924)(マキノ版) 4本 製作=マキノ映画 監督=沼田紅緑 総監督=牧野省三 


燃ゆる渦巻 第一篇
林清之助=片岡市太郎 綾女=環歌子 近藤勇=市川幡谷 土方歳三=嵐冠三郎 龍巻お蓮=山本日出子 幾松=森静子 駒井相模守=阪東妻三郎

燃ゆる渦巻 第二篇
林清之助=片岡市太郎 綾女=環歌子 近藤勇=市川幡谷 土方歳三=嵐冠三郎 龍巻お蓮=山本日出子 幾松=森静子 駒井相模守=阪東妻三郎

燃ゆる渦巻 第三篇
近藤勇=市川幡谷 土方歳三=嵐冠三郎 芹沢鴨=市川幡升 駒井相模守=阪東妻三郎 林清之助=片岡市太郎 綾女=環歌子

燃ゆる渦巻 最終篇
近藤勇=市川幡谷 土方歳三=嵐冠三郎 芹沢鴨=市川幡升 林清之助=片岡市太郎 綾女=環歌子 光達上人=中村吉松
荒巻お蓮=山本日出子 桂小五郎=片岡紅三郎 駒井相模守=阪東妻三郎










市川幡谷(別名・有田松太郎)は、50本を越す主演数を記録、比較的活躍した映画の主演スターです。助演や脇役時代の映画デビュー当時の阪妻こと、阪東妻三郎(1925年に大ブレイク、のちの日本映画史上上位の大スター)の先輩俳優だったことでも知られ、助演時代の阪妻は、彼の直属の助演俳優(主に1923~1924年が中心)だった時期があります。


市川幡谷は戦前のサイレント映画期だと、中規模レベルに属すると考えられます。5度以上の主要のみで演じた役は、近藤勇(5)、水戸光圀(水戸黄門)(5)があります。また紫頭巾などに登場する「目明し佐平次」を4度、2度の大久保彦左衛門と武蔵坊弁慶を演じています。役柄は多彩です。

有名な役を多く任される評価はされていましたが、明確な代表作はこの『燃ゆる渦巻』とほか数本ほどに留まっています。


水戸光圀 水戸黄門  大久保彦左衛門 目明し佐平次 紫頭巾 武蔵坊弁慶



この3,4本目の主演的表記は新選組も主演的に描いていた、新選組映画の要素を伝えています。近藤勇役です。全体は片岡市太郎の林清之助役を主演、これはマキノ版と同様です。



市川幡谷 新選組映画 有田松太郎 阪東妻三郎 阪妻

片岡市太郎 


日活版は尾上松之助(日本映画で最初の国民的大主演俳優、ほぼ短編だが主演900本以上を記録)の桂小五郎役を上位に押したて、マキノ版は日活版以上に新選組に強く焦点を当て、競作の違いをつけていたものと考えられます。マキノ版の桂小五郎は日活版と異なり、脇役として描かれていいます。日活版は2~4であるのと異なり、マキノ版の登場表記は4本目のみ、


桂小五郎 尾上松之助


映画なので、原作を大きくいじくらない程度に俳優の違いを考慮したり、製作者の意図を踏まえて、映像化へ変化を付ける、このやり方を現代も見習ってほしものです。ただ映像化するのはあたりさわりがないことだといえます。




燃ゆる渦巻 (前後編)


1924年出版とある、レアな製品です。







謎の俳優の「十二神剣」と燃ゆる渦巻の3週期目の大都映画







燃ゆる渦巻の3週期目の映画化

燃ゆる渦巻(1938)の前後作 
製作=大都映画 監督=中島宝三、佐伯幸三  綾女=三城輝子 林清之助=松山宗三郎 駒井相模守=大乗寺八郎 近藤勇=遠山竜之助 土方歳三=十二神剣




松山宗三郎と大乗寺八郎は大都映画(大映や角川映画などの前身)の上位の映画スターです。個人的には、大乗寺八郎という力強く響きの通る芸名は印象に残ります。

土方歳三役の十二神剣という芸名の俳優、”12本の新剣”という不思議な芸名ですが、詳細不明の謎の俳優です。



大乗寺八郎 松山宗三郎 大都映画 大映 角川映画

十二神剣





燃ゆる渦巻とつながりのある「燃ゆる」は大空






燃ゆる渦巻は原作の書籍は購入可能ですが、残念ながら映画は残されていません。「燃ゆる」の大空は歌と映画が観られます。



《軍歌》燃ゆる大空("Moyuru ōzora"- Burning Sky)

作詞:佐藤惣之助、作曲:山田耕筰、編曲:仁木他喜雄


軍歌というものは気分を高揚、闘争本能を高めてくれることさえもあるように感じます。映画音楽を多く手掛けた仁木他喜雄は山田耕筰の編曲経験があります。

山田耕筰は戦前の映画音楽を手掛けていますが、仁木他喜雄は戦後に映画音楽も多く手掛けました。
作曲の山田耕筰と編曲の仁木他喜雄は繋がっています。



1940年の東宝映画の『燃ゆる大空』に使用された歌です。出演は、東宝初期の現代劇スターの大日方傳。山田五十鈴と結婚し、嵯峨美智子の父となる月田一郎、



燃ゆる大空





映画も50本ほど出演の国民的歌手の灰田勝彦、彼は戦前と戦後通じてなんと、日本のソロ歌手上位の20曲以上の有名ヒット曲で知られています。電○やマスコミが繋がり様々な手段で、神格化させようとしている松田聖子などを余裕で上回る、まさに国民的歌手、

灰田の映画出演は1937~1973まで長期間で出演しており、歌は名作詞家の佐伯孝夫とのコンビで知られています。

この映画にへ上位10選の出演している東宝初期の現代劇スターの佐伯秀男と佐伯孝夫は名前は似ていますがまったくの別人です。


佐伯秀男
佐伯孝夫 


灰田勝彦の戦前と戦後を通じて~は、大きく異なる時代であり、映画俳優も同様ですが、非常に高い評価になります。



燃ゆる大空 佐藤惣之助 山田耕筰 仁木他喜雄 灰田勝彦 松田聖子

大日方傳 山田五十鈴 嵯峨美智子 月田一郎 


時代劇中心俳優の長谷川一夫は、現存版含むと300本強の映画に出演し、助演が非常に少ない俳優ですが、映画『燃ゆる大空』は助演出演しています。また彼の戦後以前の現代劇jの助演は数本のみですが、その視聴可能な貴重な映画です。また東宝の事実上のオールスターに近い上位出演者を配した戦争映画でした。表記のみの名優は14名です。







両名280本の映画の多作の2名匠 「万花」の中島寶三と「駅前」の佐伯幸三







燃ゆる渦巻(1938)の前後作の中島宝三(中島寶三)は時代劇の名匠、監督数は日本映画上位15選に含まれる大多作の165本以上を記録(現存含むと170本強)、事実上の巨匠ともいえる膨大な監督数です。

たとえば、マスコミが今もゴリ押しの超知名度先行型の黒澤明は、中島宝三の6分の1近いの少数の映画監督数31本が黒澤明です。これは現実です。

いかに日本を壊してきた外国優先主義の新聞やテレビのマスコミが、あの許されないロシア、そのロシア映画も監督している黒澤明を誇張してしてきたのか、黒澤明は自分の映画の複数に、日本国に危険な共産主義思想も取り入れています。

知名度や評価があるという不透明なものではなく、映画の功績はあいまいな評価である雰囲気的な定着である、内容の良し悪しだけではありません。現実に170本と31本の大差が存在する事実を知ってください。



6倍と6分の1の現実
中島宝三(中島寶三) 165本以上を記録(現存含むと170本強)
黒澤明 31本=単独は30本、オムニバス1本




中島宝三 中島寶三 黒澤明  燃ゆる渦巻(1938)


中島宝三は、片岡千恵蔵の1927「万花地獄シリーズ」(1~4、現存は1分の断片、表記は「萬花地獄シリーズ」も有)が、自身の上位の明確な代表作です。日本映画上位の主演俳優の片岡千恵蔵の出世作であることも、代表作である大きな理由です。



佐伯幸三は、戦後の東宝映画(東宝系の東京映画)の「喜劇 駅前○○」のいわゆる名喜劇人の森繁久彌の「駅前シリーズ」の12本などの監督としても知られています。

*つながりないわけではありませんが喜劇人(喜劇俳優)=芸人(基本は都合の良いタレント)ではありません。芸能としては喜劇人のほうが格上と考えるのが、基本です。


片岡千恵蔵 万花地獄シリーズ 萬花地獄シリーズ 萬花地獄 佐伯幸三 森繁久彌 駅前シリーズ 喜劇 駅前○○




*「万花地獄シリーズ」は、現存含むと単独主演映画370本を越す世界的大スター、千恵蔵の最初の出世作です。ちなみのアメリカの顔ことジョン・ウエインは140本強(単独主演含まない)です。この両者比較的同時期の活躍の俳優です。

370本以上と140本強なんと、アメリカの顔を2.5倍以上も上回っています。ですが、今回のアカデミー賞と同様に、大きくアメリカ媚びのNHKなどのテレビやマスコミは、日本の顔の、このことを取り上げません。


ジョン・ウエイン アメリカの顔







佐伯幸三監督の「駅前シリーズ」の参加12本と「駅前シリーズ」の全24本の監督の内訳








駅前シリーズは、日本各地の駅前を舞台にした観光や産業なども交えて描いた喜劇系の現代劇映画です。



佐伯幸三監督の「駅前シリーズ」の参加12本

1964『喜劇 駅前女将』
1964『喜劇 駅前怪談』
1964『喜劇 駅前音頭』  
1964『喜劇 駅前天神』  
1965『喜劇 駅前医院』 

1965『喜劇 駅前金融』  
1965『喜劇 駅前大学』
1966『喜劇 駅前弁天』  
1966『喜劇 駅前漫画』
1966『喜劇 駅前番頭』 

1966『喜劇 駅前競馬』  
1967『喜劇 駅前満貫』 


*見やすいように5本ごとに区切り



森繁久彌(森繁久弥、喜劇俳優の映画最多主演数130本強を誇る、喜劇系2位がエノケンこと榎本健一の現存版含まないと80本強)の主演シリーズの中では、最低でも3000万人を越す『社長シリーズ』(33本)に次ぐ、「駅前シリーズ」は24本で、最低でも2000万人を越す観客動員を記録したと考えられます。


森繁久弥 エノケン 榎本健一



実は森繁久彌というと社長と駅前のイメージを持ち人が多くいますが、1980年代が中心のこの2シリーズの公開時は大ヒットはしていません。現実は大ヒットまで届くとはいえず、利益が十分得られるスマッシュヒットを続けていました。


一例として同じ1960年代中心の単一映画題材だと、高倉健の「網走番外地シリーズ」は、年間1位の300万人強を1本記録するなど、200万人も複数の年間ベスト5を何度も記録していますが、社長と駅前は年間ベスト5が1本もありませんでした。公開後から数十年に及ぶ、東宝の広告による印象の誇張が、当時の事実とは食い違う、異なるイメージを形成しています。



高倉健 網走番外地シリーズ


2022年も様々な問題が露呈しているフジテレビも絡みついた、後々の東宝のイメージ戦略に載せられた方々が多くいます。


それでも、社長と駅前は1960年代に中核を持つ、映画シリーズの代表作の2つ(1960年代上位の10つほどの2つ)に含まれることは事実です。



喜劇 駅前女将


佐伯幸三監督の東宝映画「駅前シリーズ」参加12本の1本目です。この制作表記の東京映画は東宝系の会社です。事実上東宝の映画です。


東京映画







「駅前シリーズ」の全24本の監督の内訳

1958『喜劇 駅前旅館』=豊田四郎
1961『喜劇 駅前団地』=久松静児
1961『喜劇 駅前弁当』=久松静児
1962『喜劇 駅前温泉』=久松静児
1962『喜劇 駅前飯店』=久松静児


1963『喜劇 駅前茶釜』=久松静児 *5作連続
1964『喜劇 駅前女将』=佐伯幸三
1964『喜劇 駅前怪談』=佐伯幸三
1964『喜劇 駅前音頭』=佐伯幸三
1964『喜劇 駅前天神』=佐伯幸三
10

1965『喜劇 駅前医院』=佐伯幸三 *5作連続
1965『喜劇 駅前金融』=佐伯幸三
1965『喜劇 駅前大学』=佐伯幸三
1966『喜劇 駅前弁天』=佐伯幸三
1966『喜劇 駅前漫画』=佐伯幸三
15

1966『喜劇 駅前番頭』=佐伯幸三 *10作連続
1966『喜劇 駅前競馬』=佐伯幸三
1967『喜劇 駅前満貫』=佐伯幸三
1967『喜劇 駅前学園』=井上和男
1967『喜劇 駅前探検』=井上和男
20

1967『喜劇 駅前百年』=豊田四郎
1968『喜劇 駅前開運』=豊田四郎
1968『喜劇 駅前火山』=山田達雄
1969『喜劇 駅前桟橋』=杉江敏男
24


*見やすいように5本ごとに区切り


24本において、豊田四郎久松静児、佐伯幸三、杉江敏男井上和男山田達雄が参加しています。






ジャンケン娘』の三つ華 駅前の記録と豊田四郎、久松静児、佐伯幸三、杉江敏男井上和男山田達雄







豊田四郎(東宝の文芸路線で多くの代表作の事実上の現代劇の巨匠)、久松静児(監督数100強の多作、庶民系や女性映画を多く手掛け、多作の秀作で知られる現代劇の名匠。自身上位の「警察日記」2本は名作)、

佐伯幸三は上位でも取り上げているため省きます。


杉江敏男(監督数70本弱、日本映画最盛期の映像化監督、東宝系の専門としてです。「お姐ちゃん、重役、社長」など、様々なシリーズに4~2本の数本参加したことでも知られています。

東映移籍前の美空ひばりの1955『ジャンケン娘』(3名を押し立てた歌や音楽の明朗歌謡現代劇)、別題『ひばり チエミ いづみの ジャンケン娘』は1955年の年間3位の1000万人近い大ヒット 、この年の東宝の興行収入と観客動員の1位)東宝の映像化と娯楽監督として活躍しました。




東宝映画『ジャンケン娘』 1955年(昭和30年)から





ジャンケン娘 [DVD]

公開当時のポスターの一つをパッケージ表面に使用しています。



美空ひばり ジャンケン娘 ひばり チエミ いづみの ジャンケン娘



豊田四郎 久松静児 佐伯幸三 杉江敏男 井上和男 山田達雄




メドレー(ひばり・チエミ・いづみ)

*貴重な後年の3名による歌の競演 美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみ ジャンケン娘(女、女性)も登場 何曲目か、ぜひ確認してみてください。

映像からすると1970年代後半から80年代前半の番組、江利チエミが1982年2月13日に亡くなっているため、これ以前の収録、まさにテレビ番組の最盛期です。




江利チエミ 雪村いづみ




井上和男は、監督数20本強に留まり、代表的なものはごく少なく、この駅前の2本が自身の上位の代表的なタイトルです。


山田達雄(監督数25本強、新東宝中心の映像化監督で、娯楽映画の大巨匠の渡辺邦男の助監督を多く務め監督デビュー、中村梅之助の時代劇ドラマ『伝七捕物帳』がテレビドラマのトップ代表作)、

晩年の自伝書籍で嵐寛寿郎(日本映画や時代劇映画を代表する歴代上位の主演俳優)は、晩年にコンビを組んだこともあり、自分の実積を大きく伝えたいわけで、山田を高く評価している部分がありますが、現実はだいぶ異なります。

山田達雄は、娯楽路線の大ヒットや娯楽映画としての高評価など、一般的な映画における実積は残せませんでした。ですが、もちろん優れた最盛期のプロ、きちんと観られる映画を残しています。



渡辺邦男 中村梅之助 伝七捕物帳 嵐寛寿郎



佐伯幸三は7作目から18作目まで「駅前シリーズ」を12作連続で監督し、シリーズ最多監督(24本中半分の12作、2位は5本の久松静児、3位は3本の豊田四郎)を記録、またこの連続のみが彼の駅前シリーズへの参加です。この部分は特長的です。







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2022/05/01 23:40 | 邦画の探求COMMENT(3)TRACKBACK(0)  

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