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片岡千恵蔵生誕120年 「新事実名匠巨匠外コンビ」 頭巾顔が腐った日本映画界にくさび打つメッセージ 謎の37分映画 歴代編集者と伝説兄弟 監督進出歴戦脚本家





片岡千恵蔵生誕120年 「新事実名匠巨匠外コンビ」 頭巾顔が腐った日本映画界にくさび打つメッセージ 謎の37分映画 歴代編集者と伝説兄弟 監督進出歴戦脚本家








現代の腐りきったアニメ頼りの沼の奥地にハマった情けなぁーい日本映画に強烈にズブズブと鋭いくさび(楔)を打ち込む




人生山あり谷あり、良きの日本映画のためには、マスコミや映画評論家などが繰り返す「外国からお金ほしーの」と日本壊しのためにテレビで煽る「外国がー」ではなく、良き日本らしい、日本だからできる良き映画界のため、時には激しさと苦しさも伴う


お手軽に外国をマネて取り入れて得られるある程度の評価ではなく、再び日本の独自性を形成や強化して、再び日本人やそのプラスαとして、外国でも評価される可能性を探る。日本は大陸ではなく島国です。島国は島国のやり方がある。これは長きにわたる過去も教えてくれています。

外国からお金ほしーの

日本映画の最盛期を形成してきた千恵蔵、2023年の”生誕120年”から改めて、その長年の挑戦と本数以上の成果の数々と現代も続く影響力、日本人として”溢れゆく感謝の念”、現代や近未来の日本映画が上昇するために教わる部分が多々あります。

これは日本映画にとって良いやり方、千恵蔵の存在はこのヒントも伝えてくれます。




片岡千恵蔵生誕120年 「騒然名匠巨匠外コンビ」 眼に入らぬかァ!ジャニ沈25歳の黄金顔面 御大眼下3分の1伏す裕次郎 海軍軍司令部参謀の長生








名匠巨匠以外の映画監督たちの千恵蔵コンビ 一定の成果や成功や大成功④






1~8は上記のリンクから飛べる前回の記事です。今回も助演の主要や助演(主要以下)は含まない、単独主演やダブル主演、トリプリ主演のみの主演コンビです。今回は9~16(最後)までに迫ります。最後の16人目は謎の人物が登場します。



9 山上伊太郎   成果は特になし
監督実働1934~1935、監督数2本。日本映画と時代劇映画を代表する名脚本家の一人で、「忠臣蔵」、「鞍馬天狗」、「丹下左膳」、「浪人街」などの10題材を越す名作時代劇の脚本、現存含むと脚本数60強で、代表作は驚異的な40本強、原作も30本以上、数そのものは多くはありませんが、脚本と原作の両方が、6割を越す代表的作品の的中率は驚異的で、的中率は歴代脚本家の八尋不二や依田義賢を軽く上回り、橋本忍(原作数は貧弱)と競る的中率です。


山上伊太郎 浪人街

八尋不二 依田義賢 橋本忍



ですが監督は2本のみ、脚本家や原作者としては日本映画史上上位の人物ですが、監督としては活躍したとはいえません。

そのうちの1本が監督デビュー作の嵐寛寿郎主演の寛プロの1934『兵学往来髭大名』(監督、脚本、原作)で、もう1本が2本目の千恵蔵の1935.『魔風一騎 前篇 北斗の巻』(監督、脚本)です。1935.『魔風一騎 前篇 北斗の巻』の原作の三上於菟吉は「日輪」や「雪之丞変化」などの有名な原作者で、この映画は林長二郎(長谷川一夫)の1935.6月『雪之丞変化 第一篇』の3カ月後に公開しています。

「魔風一騎」の千恵蔵は菊河朱四郎という役を演じていますが、後半が制作された記録がない珍しい映画です。



嵐寛寿郎 魔風一騎 前篇 北斗の巻 兵学往来髭大名 三上於菟吉 林長二郎 長谷川一夫 雪之丞変化 第一篇 菊河朱四郎


山上伊太郎のシナリオ 単行本

千恵蔵映画の現時点では視聴不可の1932年の『白夜の饗宴』と『時代の驕児』の幻の映画シナリオも収録されています。


白夜の饗宴 時代の驕児

千恵蔵コンビは監督としては成果は特になし、脚本家としては大成功です。監督のみなので成果は特になしとなります。





10 野淵昶  一定の成果8
読みは”のぶちあきら”、監督数35、実働は1935~1955の20年間、後世に評価が上昇した監督、名監督にはもう1歩か、新興キネマと大映メイン、いわゆる女性物映画を20本強も手掛け、複数の秀作を残し、活躍した監督には含まれます。

野淵昶 女性映画

女性映画は全監督数の半数を越す監督は、戦前から戦後監督において、ごく少数です。彼は日本映画において貴重な存在です。代表的映画といえるのが 1938「静御前」 1939「中将姫」、1939「紫式部」、1940「明治の女」、1942「お市の方」、1950「復活」、1952「滝の白糸」、1953「千姫」です。全て女性役を主演に置いた映画で、「復活」以外は何度も映画化されている現在も有名な題材です。

静御前 中将姫 紫式部 明治の女 お市の方 復活 滝の白糸 千姫


名監督と言い難い理由が明確な代表作のなさと少なめの監督数です。1930年代デビューで35本ほどはかなり少なめの監督数といえます。


例えば黒澤明の監督数は少ない31本(単独は30)ですが、明確な代表作は10本ほどち影響力の強さから、監督数と代表作が少ない問題点がありながら、巨匠に該当しています。野淵昶は巨匠以前に、名匠としても、決め手に欠けるという部分がぬぐえません。

黒澤明


野淵昶と千恵蔵コンビは1本のみで、千恵プロと新興キネマの1935『白牡丹』のみ、この映画は比較的地位を確立していた時期の大女優の鈴木澄子がヒロインです。鈴木の千恵蔵映画の単独ヒロインは、この映画のみ、大女優であり、非常に意味がある映画です。千恵蔵との共演は、セカンドヒロインもこなしていたマキノ時代に複数あります。鈴木澄子は世界歴代女優ベスト3のヒロイン数150本以上の大記録を残していますが、またこの部分は別な機会にします。また月形龍之介が千恵蔵の父親役の老け役を演じているところも特色といえます。


白牡丹 鈴木澄子 世界歴代女優ベスト3のヒロイン数150本以上の大記録 月形龍之介



『白牡丹』は野淵監督のデビュー2本目の映画とされています。彼は当時新興キネマの監督であり、千恵プロに出向した際の映画です。実は『白牡丹』を監督した後の3本目は井上正夫や水谷八重子出演の大作『大尉の娘(1936)』を監督しています。同・井上正夫主演による1917年版のリメイクです。これは千恵蔵映画を監督したことが一定は評価されたと考えることができます。何故なら井上正夫は、当時の日本上位の舞台の主演俳優と評価されていた人物、映画でも一定の成功を収めた、中心は舞台俳優の大物だったためです。

すでに国民的俳優の千恵蔵の主演作を撮影したことから、舞台の大物の井上正夫主演作につながることができ、千恵蔵はこうした面において野淵昶の活動にかなり貢献していたといえます。




映画『白牡丹』の画像が残る小冊子 池袋映画劇場
白牡丹

池袋映画劇場

これは非常に貴重な画像です。片岡千恵蔵の背中の刺青姿は、戦後の当たり役の一つの遠山の金さんを連想させます。千恵蔵は戦前に長谷川伸原作の「刺青奇遇」の2本だけではなく、この映画の刺青の役を演じていたことになります。この画像はあまり知られていない事実を伝えています。実は原作と脚本の左八阪はこの『白牡丹』のみの名義、野淵昶の別名の可能性が考えられます。また、この映画の撮影は千恵蔵の大盟友の石本秀雄です。

「刺青奇遇」の影響を受けて、戦後の刺青判官姿鮮やかな演技の遠山の金さん(遠山金四郎)役につながる布石とも考えられる映画です。


左八阪 長谷川伸 刺青奇遇 石本秀雄 遠山の金さん 遠山金四郎






名匠巨匠以外の映画監督たちの千恵蔵コンビ 一定の成果や成功や大成功⑤






11 原顕義  特に成果なし
監督数2本のみの監督、2本とも千恵蔵映画の新興キネマ提携時代の作品、巨匠・伊丹万作と千恵蔵コンビの1935.5月『戦国気譚 気まぐれ冠者』で佐伯清(のちの名匠、巨匠級)と共に助監督を務め、振津嵐峡(曾我正史)監督の『黄昏地蔵 前篇 疾風転変の巻』の後編に当たる1935.12月『黄昏地蔵 後篇 血河復讐の巻』で監督デビュー、1936『江戸城炎史』も監督、千恵蔵コンビはこの2本です。


原顕義 戦国気譚 気まぐれ冠者 佐伯清 振津嵐峡 曾我正史 黄昏地蔵 前篇 疾風転変の巻 黄昏地蔵 後篇 血河復讐の巻 江戸城炎史




2本とも香住佐代子がヒロイン、彼女は千恵蔵に認められて『黄昏地蔵 前篇 疾風転変の巻』のヒロインで映画デビュー、千恵プロの末期を支えた女優の一人です。100本近い映画に出演し、ヒロイン出演の名作はほぼ皆無ですが、脇役中心に名作20本以上に出演、十分に名女優といえる存在です。千恵蔵とは約10年の、なんと35本近く(現存含む)で共演しています。

「黄昏地蔵」は千恵蔵とも非常に縁がある大作家の子母澤寛原作です。「弥太郎笠」の戦前戦後の3本や、自身最初の「国定忠治」現存含むと4本、「千石纏」、「お坊主天狗」のリメイク含む3本、『新選組鬼隊長』などの代表作の原作、千恵蔵からなんと、勝新太郎の「座頭市シリーズ」の原作につながります。長くなるのでまた別の機会ですが、勝新太郎も千恵蔵の影響をかなり受けています。ですがテレビはこの事実も完全無視しています。



香住佐代子 子母澤寛 弥太郎笠 国定忠治 千石纏 お坊主天狗 新選組鬼隊長 勝新太郎 座頭市シリーズ





12 衣笠十四三   大成功1 成功4 一定の成果9
名匠とまでは言い難いが千恵蔵とのコンビで成功を収めた監督、監督数19本、監督の実働は1935~1957、13年ほどの俳優や舞台演出家を経て、1933年に新興キネマに入社し、千恵プロで監督デビューから日活を経て、戦後は短編映画を数本手掛けています。

衣笠十四三

千恵蔵との成功後、日活時代は、千恵蔵や阪妻、嵐寛の三大スターよりランクが劣る映画スター(時代劇スター)の沢村国太郎を4本(長門裕之や津川雅彦の兄弟の実父、世界ナンバーワンの映画一家のマキノ家の一員)、や尾上菊太郎を5本と複数コンビがあるが、残念ながらこれは明確な成功とはいえず、

当時としては非常に遅咲きの35歳のデビュー作の1935年『初祝鼠小僧』は、林長二郎と名コンビを形成していた松竹の実兄・衣笠貞之助(のちの巨匠)が原作と脚本を担当、1935年末の公開で1936年の正月映画のヒット作と記録が残っています。


沢村国太郎 長門裕之 津川雅彦 世界ナンバーワンの映画一家のマキノ家の一員 尾上菊太郎

初祝鼠小僧 衣笠貞之助


貞之助の脚本は「泉治郎吉」名義、明確なものとしては兄弟の監督と脚本における日本映画史上の初のヒットを記録、千恵蔵は義賊・鼠小僧次郎吉を演じています。また衣笠十四三は、伊丹万作の「刺青奇偶」と稲垣浩の「瞼の母」の両名作を同・千恵蔵主演で、1936年にリメイク、1936年7月公開の「刺青奇偶(1936)」は衣笠貞之助が泉次郎吉名義で再び脚本を担当、千恵蔵映画2度目の衣笠兄弟映画です。


泉治郎吉 鼠小僧次郎吉 瞼の母 刺青奇偶(1936) 衣笠兄弟映画


続いて衣笠十四三は、千恵プロ101本目の映画、1937『松五郎乱れ星』(千恵プロ最終作の意味のある映画)、日活時代は松田定次と共同監督の火消し物の秀作の1938『初姿人情鳶』(1938年12月31日公開とあるため、1939年の正月映画)を監督、この映画の現存する改修版は『大江戸の闇』(現版の不良からオリジナルよりも分数が削られている、コンビ最終6本目)として現存しています。


千恵蔵コンビの5本中すべてが一定の成果の意味がある映画、6本中6本が代表的作品と評価、十分に大成功といえます。衣笠十四三は全履歴としては名監督というほどは成功したとは言い難い人物が、千恵蔵とのコンビのみは成功といえます。

松五郎乱れ星 松田定次 火消し物 初姿人情鳶 大江戸の闇


大江戸の闇
大江戸の闇
監督がマキノ正博(マキノ雅弘)となっていますが、これは違います。何故間違えているのか不明、監督は衣笠十四三と松田定次です。オリジナルの『初姿人情鳶』そのもの映画は残されていませんが、この改修作『大江戸の闇』の映画は現存し、それを視聴して確認しています。







今の落ちぶれた日本映画の俳優に多い誰かの真似やコピー演技じゃない”自分だけの演技を模索した真の映画スター千恵蔵”とべらんめえ口調





千恵蔵というと、無双や二刀流というフレーズも印象的ですが、『大江戸の闇』の闇というフレーズ、現代のもそのまま通用します。例えば、50年以上の常習犯で、被害者200名近いとも言われる世界最大の少年性犯罪者ジャニー喜多川と共犯のテレビマスコミやジャニーズ事務所の闇などと使われます。


50年以上の常習犯で、被害者200名近いとも言われる世界最大の少年性犯罪者ジャニー喜多川と共犯のテレビマスコミやジャニーズ事務所の闇



『大江戸の闇』の千恵蔵は江戸時代の火消し役(現在でいうと消防士役)を演じています。千恵蔵も比較的得意とした役柄の一つで、この2本を含む4度演じています。千恵蔵の得意とする口調の一つ、いわゆる「べらんべえ口調」と火消しのきびきびした活動的な江戸っ子感は相性がかなり良く、役柄と噛み合いサマになります。


べらんべえ口調 火消し役 消防士役 江戸っ子



台詞をはっきりといわないことも千恵蔵の口調の魅力で、大河内傅次郎や大友柳太朗もこの要素がある口調の方向性といえますが、台詞をはっきりと発声すると、押しつけの正論の演技になってしまうだけではなく、実写のため、さらに主演としての存在が大きく軽くなり、安っぽい演技になってしまうため、往年の時代劇俳優は非常に気にしている部分でした。また違和感を大切にしていました。


特に映画だと大切ですが、比較的、誰でもできる伝えるに特化した現在の俳優のような安っぽい演技は非常に低レベルとなります。これさえもマスコミは伝えようとしません。テレビマスコミは外国から利益を得るために日本を破壊したいのでしょうか。もっと強く批判したいわけですが、罵声は良くないと重いため、あえて優しめの言葉を選んでいます。



時代劇スターは、他に誰もいない唯一無二の雰囲気や威厳も重要な要素です。その表現の一つとしてしゃべり口調の独自性があると現時点では認識しています。マスコミなどが伝えない非常に深い部分です、


形容も様々ありますが、役幅が広く演技が上手なのは当然、誰もいない個性の独自さと少量の違和感、存在感の強さとその大きさ、これが日本上位の主演俳優たちです。


現在の日本の俳優は非常に幼稚な個性さえもを排除したしゃべり方、棒読みも多めになってしまっています。恵蔵はこうした現在の日本映画の俳優の低迷も教えてくれます。



【べらんめえ口調】
江戸・東京の下町で下層職人が使った巻き舌で威勢のいい言葉の調子。




『初姿人情鳶』が、戦後に『大江戸の闇』として公開された時のポスターです。実は1928年の嵐寛寿郎の主演作の『大江戸の闇』と同名です。これは偶然なのでしょうか。

藤木弓(巨匠・稲垣浩の別名義)と共同脚本の石川聖二は、阪妻プロので4本の監督、彼は阪妻プロで肝心の阪東妻三郎の主演作は1本も撮影していません。なんとも残念な監督としての履歴です。さらに脚本家としても成功したとは言えない人物であり、阪妻プロ後、日活の脚本家として『初姿人情鳶』と『大江戸の闇』を含む5本(改修含むと6本)を残しています。『大江戸の闇』は現存しているという面において石川聖二の代表的作品です。



石川聖二 阪妻プロ 阪東妻三郎





名匠巨匠以外の映画監督たちの千恵蔵コンビ 一定の成果や成功や大成功⑥






13 尾崎純 成功5 一定の成果10
監督数15本強、1934~1938実働は約5年間と短い、名監督とは言い難いが2本の明確な代表作を記録、

尾崎純は、数年間とされるピーク時は高い人気を博した市川百々之助主演の1934『侠盗ふくろう組』がデビューとされ、1935年の戦前の日本映画で最大のの超大作『忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』は、4時間近い上演時間、巨匠・伊藤大輔監督を筆頭に、のちの巨匠評価の伊丹万作の応援監督で参加、さらに原作と脚色は伊丹万作、なんと応援監督と原作と脚色の3役を果たす。

『忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』は4時間近い上演時間と残され、これは全千恵蔵映画の430本を越す映画(総集編や断片や助演も含む)の中でもっとも長い上映時間の映画です。同時に大河内傅次にとっても、もっとも長い上映時間の映画です。


尾崎純 市川百々之助 侠盗ふくろう組 忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇 伊藤大輔 伊丹万作 応援監督


主演は大石内蔵助と毛利小平太の2役の大河内傅次郎と、浅野内匠頭と岡野金右衛門の2役の片岡千恵蔵、両名が2役のダブル主演、さらに総勢名優41名が確認できます。『忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』は戦前の日本映画ベスト3入りのオールスター映画です。これは尾崎純にとっても大きなキャリアとなります。


大石内蔵助と毛利小平太の2役の大河内傅次郎 浅野内匠頭と岡野金右衛門の2役の片岡千恵蔵 戦前の日本映画ベスト3入りのオールスター映画


尾崎純は、1930年代中盤から後半の日活上位7選に含まれる尾上菊太郎を4本、沢田清の晩年の主演作を4本が自身最大の本数コンビです。日活歴代の中長編系俳優ベスト10に含まれる主演数を誇る、沢田清主演の1938『怪談 お岩役者』が遺作とされています。沢田清は最盛期は高い人気を誇って、たった数年でしたが、比較的上位の日活時代劇スターとして知られています。

沢田清 怪談 お岩役


千恵蔵とは、『忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』の応援監督を除けば1本のみの1937『宮本武蔵 地の巻』、この映画は評判を得たと記録があり、成功を収めた明確な自身の最大の代表作、実はこの映画現存版が数バージョン残されています。『忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』の応援監督を含めると千恵蔵2本の成功とも言えます。

宮本武蔵 地の巻


宮本武蔵 一 地の巻 Kindle版


引用

江戸時代初期の剣豪。生涯を剣の道に捧げた宮本武蔵の波乱万丈の青春小説。史上有数の剣豪にして二天一流の開祖。生涯60数回戦って一度も負けなかったと言われる。一巻は生来の野生児だった武蔵(たけぞう)が沢庵和尚に助けられ人間として、剣の道を究めることを決意するまでを描く。過去何度も映像化された作品。



青春小説と紹介されている。最初の地の巻のみなので分かる部分です。紙の本なら6000円近いプレミアム品ですが、

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14 菅沼完二  特に成果なし
大映の伝説の編集者=編集技師としても知られる映画監督、映画監督数25、監督実働1935~1941、確認は編集66、制作2本、戦前は映画監督として活動し、戦後は大映の編集者に転身、大映で膨大な54本の代表的作品を手掛ける。

大映の伝説の編集者


監督時代は、沢田清と1938「隠密七生記」前後篇など10本のコンビ、二桁は記録しているが、代表的が少なく名コンビとは言い難い、また嵐寛寿郎の高評価時代劇『剣光桜吹雪』、や「鞍馬天狗」、「右門捕物帖」が1本ずつの計3本(全て1941年)が代表的といえます。ですが映画監督としては名匠とは言い難い一時的に活躍した監督です。


隠密七生記 剣光桜吹雪


菅沼完二は編集者としては、大映の編集者史上最多の代表作数、さらに66本中54本という8割を越す編集者歴代最高ともいえる強靭な的中率を記録、市川雷蔵の「眠狂四郎シリーズ」4本や「剣三部作」や『新・平家物語』、勝新太郎の「座頭市シリーズ」7本、「悪名シリーズ」7本、長谷川一夫の「銭形平次捕物控シリーズ」2本や『近松物語』、『四谷怪談(1959)』の代表作が多く、まさに伝説の映画人の一人です。


編集者歴代最高ともいえる強靭な的中率を記録 市川雷蔵 眠狂四郎シリーズ 剣三部作 新・平家物語 悪名シリーズ 銭形平次捕物控シリーズ 近松物語 四谷怪談(1959)



千恵蔵とは小規模オールスターの1940『侠剣魔剣』のみ(年末映画)、名優10名が出演記録あり、この映画、千恵蔵の役名が不明、日活にも詳細なデータがない謎の映画です。『侠剣魔剣』の出演は、片岡千恵蔵 市川春代 尾上菊太郎 沢村国太郎 河部五郎 香川良介 志村喬 滝沢静子 市川正二郎 戸上城太郎の10名、いずれも名優です。

そのうち片岡千恵蔵 市川春代 尾上菊太郎 沢村国太郎 河部五郎の5名は活躍した主演スターです。もちろん世界記録の多い千恵蔵だけ突き抜けています。この映画の時期の河部五郎は主演スターを終えた助演俳優でした。また、映画230本以上の大女優・市川春代は主演系ですが、主要の全体はヒロイン女優ともいえます。


侠剣魔剣 市川春代 河部五郎 香川良介 志村喬 滝沢静子 市川正二郎 戸上城太郎





名匠巨匠以外の映画監督たちの千恵蔵コンビ 一定の成果や成功や大成功⑦







15 大西秀明  一定の成果11
大西三郎として大映から東映の脇役俳優、その後の監督で一定の成果を残した人物、監督数32、実働1958~1969の約10年

俳優としては片岡千恵蔵の森の石松役が主演の1945『東海水滸伝』(改修改題『東海二十八人衆』)や同俳優の初代・金田一耕助シリーズ『獄門島』、『獄門島 解明篇』(両方とも1949年)と『獄門島(総集編)』、1950『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』、1954の河野寿一監督の『里見八犬伝』五部作など20本強に脇役で出演、特に千恵蔵とは10本(現存含むと15本越え)で共演

大西秀明 大西三郎 森の石松 東海水滸伝 東海二十八人衆 初代・金田一耕助シリーズ 獄門島 獄門島 解明篇 獄門島(総集編) 日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声 河野寿一 里見八犬伝

内田吐夢と千恵蔵の名コンビの1955『血槍富士』、1956『黒田騒動』や1960『大菩薩峠 第二部』(千恵蔵の大菩薩峠は渡辺邦男コンビから計5本目)などの助監督に抜的され、内田監督から大きな影響を受けています。里見浩太郎(のちの里見浩太朗)、 沢村精四郎、植木基晴(千恵蔵の長男で戦後の日本映画最盛期を代表する名子役)の3名が主要の『神州天馬侠(1958)』で監督へ昇進、一般系映画は18本手掛ける。だが、その大半が低予算映画です。


神州天馬侠(1958) 血槍富士 黒田騒動 大菩薩峠 第二部 里見浩太郎 里見浩太朗 沢村精四郎 植木基晴 


この大半が低予算映画が物語る現実は厳しく、監督デビュー当時は内田の助監督という理由から大きく期待され売り出されたが、総合的には評価されなかったといえます。

大西秀明は一般映画を離れ、1965年から成人映画界へと進出し、加山恵子と7本のコンビを組み1966『女郎妻』、1968『続・女郎妻』の代表作、聡明期の成人映画でヒット作を残しています。成人映画は14本の監督を務めていますが、東映の俳優から監督に転向を実現させ、一定の成果を残した非常に珍しい人物です。


成人映画 加山恵子 女郎妻 続・女郎妻

千恵蔵とは1958『紫頭巾』、1960『江戸の朝風』の2本のコンビ、いずれも一級作品 『江戸の朝風』はCSなどでもほぼ放送されていない映画です。

江戸の朝風

紫頭巾(1958)1



「神州天馬侠」前後作で一定の評価を受けた『紫頭巾(1958)』は監督昇進3本目であり、同時に有名題材、黒頭巾や白頭巾などがある中で、いわゆる”頭巾物”を代表する映画題材です。大西監督の全映画の中でもっとも製作費をかけた映画です。巨匠内田吐夢の助監督として評価され、将来を期待されていたことが伺えます。


紫頭巾(1958) 頭巾物


ですが、4本目で里見浩太郎の『唄しぐれ千両旅』からもわかりますが、里見浩太郎は当時の東映が売り出していましたが明確に主演で当たることはなく、名作やヒット作の出演は千恵蔵や右太衛門、錦之助などの助演(主要も有)ばかりでした。期待は落とされたと思われます。

『紫頭巾(1958)』は多羅尾伴内の7役ではなく、これを4役にいじくるなど、現代劇を時代劇に逆風刺を感じさせる千恵蔵独自な紫頭巾です。千恵蔵はこの映画のように戦前から、”現代劇を風刺した時代劇”を歴代俳優の中でもっともお家芸の一つとしています。こうした制作費と千恵蔵という面において、大西秀明のもっとも代表的作品といえます。

多羅尾伴内 唄しぐれ千両旅

実は大西監督は東映時代18本のうち、ほとんどが低予算系の映画でしたが、千恵蔵とのコンビのみが明確な一級作品といえます。比較的予算を抑えた里見浩太郎4、東千代之介と山城新伍(主演で売り出されていた時期)の3本のコンビがあります。東千代之介は、人気が降下した時期にコンビを組まされています。


東千代之介 山城新伍

また、軽視される千恵蔵の俳優としての脇役の11本と、監督の2本という貢献もあります。



紫頭巾(1958)2
非常に良い写真のように思えます。この千恵蔵の頭巾姿の映画劇中のスチール写真から、上記のポスターが制作されていることがわかります。



16 花田弘 一定の成果12
花田弘は現時点で謎の映画人、実働や監督数、経歴は不明、

千恵蔵の金田一耕助シリーズの公式6本だが、『曉の奇襲』の1本のみを監督、事実上のシリーズ7本目か、映画は37分とされています。制作は東横映画(東映の前身)とあることから、千恵蔵の金田一耕助の1本目『三本指の男』(娯楽映画の巨匠・松田定次が監督)は1947年12月9日公開とあり、この『曉の奇襲』は1947年から1951年までに制作されたことがわかります。1951に東横から東映に屋号を変える前です。東映の屋号後の制作されているなら、制作は東映になるためです。


曉の奇襲 花田弘 三本指の男


また、『三本指の男』のパイロット版の可能性がある謎の映画です。『曉の奇襲』は、近年に存在が明らかになった千恵蔵映画の1本です。これは非常に重要な映画だといえます。国立映画アーカイブが所蔵しています。

国立映画アーカイブ=東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)は2018年4月1日に東京国立近代美術館より独立し、新しい組織「国立映画アーカイブ」となっています)

国立映画アーカイブ 東京国立近代美術館フィルムセンター NFC



花田弘と千恵蔵の関りは戦後直後だと考えられますが、近年に見つかった映画のため、今回は「名匠巨匠以外の映画監督たち」の最後の16人目としました。


千恵蔵の当たり役の一つ初代・金田一耕助の1本目『三本指の男』は、1947年の1度目の公開時のヒットから、1950年代中盤にかけて再公開2度の計3度にわたって、大規模に公開されたことでも知られています。再公開時の改修版『三本指の男』は、外資系で申し訳ありませんが、東映がアマゾンで立ち上げた東映オンデマンドでも視聴可能です。個人的にはCS放送で視聴済みです。

東映オンデマンド


右に眼鏡の白木静子役の原節子と左側に千恵蔵の金田一の姿を奥に映したスチール写真?を使用しています。千恵蔵の現代劇の成功の流れは「多羅尾伴内」に続いて、さらに掴んだのみではなく、日本映画の最盛期を彩った原節子にとっても、『安城家の舞踏会』のブレイクの流れを受けた時期(戦前はブレイクと言い難い)、非常に意味がある映画です。原節子は国民俳優の千恵蔵と共演したという大きなお墨付きから、原節子は信用を上げていき、これ以後に小津安二郎などへ出演していきます。マスコミは伝えていませんが、原節子も千恵蔵の力の恩恵が働いています。

白木静子 原節子 小津安二郎

下のリンクから飛べます。
三本指の男 東映オンデマンド







千恵蔵の紫頭巾の顔のドアップが現代の俳優に向けた物語るメッセージ






最後は『紫頭巾(1958)』のこの顔です。紫頭巾の顔のドアップは非常に有名な役柄です。千恵蔵にとっても一度は演じたかった役柄だと考えられますし、多くのポスターや画像が残されていることからも、大西監督の最大の代表作といえます。

紫頭巾(1958)3

この中身が伴う内面からにじみ出る力強い顔ができる俳優、現代の俳優は中身のなく、変わりがいくらでもいるような、誰かの代わりやコピーのような薄っぺらいにわか俳優ばかり、しかもタレント風情が俳優を名乗るケースも多発しています。嘆きたくなるほどのあんまりな有様です。千恵蔵から日本の俳優のあり方の一つを教わります。


現代の俳優のような、大半が崩れている中でも、特にジャニー喜多川問題が大きく浮上中のジャニーズ系が目立ちますが、コピーのような誰かの真似の演技ではなく、彼のように長年積み上げた確かな実益と履歴が伴ってこそ、この顔の存在感や威厳の雰囲気が成り立ちます。



会見を開いた岡本カウアン氏(売名か?会見のみの告訴なしと典型的なイカレた「外国ガー」男)によると、ジャニー喜多川による未成年200名ともいわれる膨大な被害者(加害者とは書きません、被害者です)、それを大きく上回る膨大な共犯者たち あの未成年性犯罪者で全身整形男のおかしなおかしな黒人のマイケル・ジャクソンも大敗 
売国芸能ウォッチ2023年4月号 現在も続く「裕次郎とや〇〇」=「イギリスBBCのジャニー喜多川の暴露」のW隠蔽「マスコミのナニカグループ」つながる共犯者たち

岡本カウアン ジャニー喜多川 マイケル・ジャクソン

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2023/04/15 17:45 | 超大物俳優COMMENT(5)TRACKBACK(0)  

片岡千恵蔵生誕120年 「騒然名匠巨匠外コンビ」 眼に入らぬかァ!ジャニ沈25歳の黄金顔面 御大眼下3分の1伏す裕次郎 海軍軍司令部参謀の長生





片岡千恵蔵生誕120年 「騒然名匠巨匠外コンビ」 眼に入らぬかァ!ジャニ沈25歳の黄金顔面 御大眼下3分の1伏す裕次郎 海軍軍司令部参謀の長生





ジャニ沈の25歳市郎の黄金顔面とは

謎の海軍軍司令部参謀の長生と千恵蔵の意外な関連

幻のダブル120本スター女優を両手に華の京洛映画


あのマスコミが40年以上も
凄い凄いと偽善者のオオカミとなって
今もあり得ない誇張している
石原裕次郎が千恵蔵の3分の1のリアリズム

マスコミが完全無視する”ジャニー喜多川の暴露”と”や〇〇と裕ちゃん”はつながっていた。



裕次郎が顔を見上げるとそこの御大の顔があった。


片岡千恵蔵生誕120年”特集は続きます。






前回記事
ハリウッド君「安全保障破壊してお金ほしーの」史上最悪ポリコレ7冠の侵攻 米親分VSアジ子分のゲ・ン・ジ・ツ






驚きの先輩後輩対決 千恵蔵VS裕次郎 テレビによって40年以上も大きく誇張とごり押しされている石原裕次郎は千恵蔵の3分の1以下のリアル






片岡千恵蔵は名匠・巨匠40名と劇映画において、主演コンビを組み、一定の成果は驚異的な34名、成功は24名で、大成功は15名と映画史上に残る驚異的な成果を残しました。

一定の成果は驚異的な34名、3つにおいて驚異的な的中率と成果を誇り、これは総合的には日本歴代1位、さらには世界歴代1位(多作の主演においては)です。特に代表作3本以上が15名(これも日本だけではなく世界歴代1位)、今後も人間レベルでは、実現不可能なレベルに踏み込んだ主演の映画俳優です。


今回はさらに奥の部分に迫ります。




千恵蔵の凄さというものをVS的な要素からも一つを取り上げてみます。






千恵蔵の日活の後輩の石原裕次郎の主演の数字を簡単に出してみますが、彼は名匠・巨匠17 一定の成果15 成功10 大成功4です。千恵蔵とは監督において大きな差があります。

片岡千恵蔵  石原裕次郎


テレビマスコミは、裕次郎推しを存命中から40年以上も行っているため、この事実さえも伝えようとしません。裕次郎の場合は戦後の最盛期からなので、主演が86本の割は、名匠・巨匠の関りは多く生まれやすい環境でした。

日本映画の最盛期に若手という大きなチャンスに恵まれ、主演の名匠・巨匠17名で一定の成果15名 成功10名と千恵蔵をある意味、上回る的中率といえますが、千恵蔵の主演の名匠・巨匠40名の半分にも満たない主演の名匠・巨匠17名における関与数が半分以下のレベルです。もちろん裕次郎に問題があるわけではなく、十分に歴代の比較的な上位に含まれます。


また、千恵蔵は主演の名匠・巨匠40名で15名、石原裕次郎は主演の名匠・巨匠17名で大成功4名、裕次郎の大成功は4名のみで、千恵蔵は15名、なんと千恵蔵の3分の1以下です。明確で圧倒的な差があります。これは大きな主演俳優としての評価の大差に関わってきます。もちろんスターとしても大差は同様です。








片岡千恵蔵石原裕次郎の主演の名匠・巨匠数における一定の成果数、成功数、大成功数>

片岡千恵蔵 主演の名匠・巨匠40名 一定の成果36名 成功24名 大成功15名
石原裕次郎 主演の名匠・巨匠17名 一定の成果15名 成功10名 大成功4名


主演の名匠・巨匠は40対17の2倍強千恵蔵のほうが上、一定の成果は36対15で2倍強も千恵蔵のほうが上、成功数はさらに広がり、2.5倍近く千恵蔵のほうが上、さらにさらに大成功数は15対4の3倍強の大差がついています。

いうまでもありませんが、一定の成果よりも大成功のほうが格段と難しい現実があります。




片岡千恵蔵の大差とはいえ、石原裕次郎の主演の名匠・巨匠17名は十分優れています。一定の成果15名、成功10名、大成功4名も十分に立派なものですが、さすがに相手が悪かった。相手は多くの世界記録を持つ大天下の千恵蔵です。詳細は機会を改めて、いずれ取り上げます。日本を代表する芸能系の両名ですが、この事実が存在しています。


いわゆる裕次郎世代が70代~80代中心(いわゆるテレビ創世記からの世代)、テレビがこの高齢者の世代を標的に健康系の通販など、簡単に言えば事実上のお金を奪うために、この世代の有名人物から尋常じゃないほどに持ち上げ続けています。

石原裕次郎もマスコミの実積の切り抜きのや40年以上にわたるエピソードの誇張や度重なる印象操作が作り出したイメージによる作られた功績も部分も非常に多く、現実はかなり違っています。こうした部分もぜひ知っていただきたい現実です。



重要な部分ですが、石原裕次郎が悪いわけではありません。彼はマスコミの金稼ぎの長年の道具にされているある種の被害者です。悪いのは、テレビによる実積以上の何倍もの誇張を現在も繰り返し続けているテレビ含むマスコミです。





出だしの”マスコミが完全無視する”ジャニー喜多川の暴露”と”や〇〇と裕ちゃん”はつながっていた”の部分は下に公開致しました。良ければご覧ください。
売国芸能ウォッチ2023年4月号 現在も続く「裕次郎とや〇〇」=「イギリスBBCのジャニー喜多川の暴露」のW隠蔽「マスコミのナニカグループ」つながる共犯者たち




名匠巨匠以外の映画監督たちの千恵蔵コンビ 一定の成果や成功や大成功①






片岡千恵蔵はこれまで数度にわたって取り上げてきた名匠・巨匠の40名以外の監督とのコンビにおいても、映画監督たちとのコンビが数多く存在し、一定の成功や成功、大成功を収めています。名匠・巨匠のみに留まらない数多くの成果も、千恵蔵の功績や評価を伝える上で、きってもきれない非常に重要なものです。テレビなどがさらに取り上げない部分であり、重要な部分です。





1 小笠原明峰(小笠原明峯) のちにという意味で成功1 一定の成果1
監督実働1923~1926年、京都に存在した伝説の映画会社「小笠原プロダクション」の創立者、製作者、映画監督、原作、脚本の活動、華族、監督数は1923~1932の10本、監督以外含めると17本に関与。すべて現代劇のみの無声映画。名匠とはいいがたいが日本映画界に一定の足跡を残した映画人として評価できる人物。

千恵蔵のほか、日本の三大喜劇王・古川ロッパ(古川緑波)、東坊城恭長(明峯と同じ華族で、戦前を代表する大女優の入江たか子の兄、同デビューや、入江プロの創設者としての功績、俳優としては人気がイマイチで成功せず)の映画人としてのスタートに大きく関与。


小笠原明峰 小笠原明峯 小笠原プロダクション 日本の三大喜劇王 古川ロッパ 古川緑波 東坊城恭長 入江たか子 華族


明峰は、千恵蔵のデビュー作という意味で重要な1923『三色すみれ』、また小笠原プロの解散後、華族である権力を駆使して、日活超大作のオールスター映画の1930『撃滅』(日本海海戦25周年記念映画、海軍省後援)を3年5か月ぶりに監督、主演は中野英治、明峯の弟の楠英二郎(芸名)も出演の10巻85分の海軍テーマの戦争映画、原作は明峯の父・小笠原長生中将(海軍軍司令部参謀)の非常に重要な映画、

さらに新興キネマの1932『太平洋』が監督の遺作(川浪良太と共同)、これも戦争映画で主演は『撃滅』の中野英治、脚本は日本映画を代表する八尋不二、原作は明峰の父の小笠原長生、遺作も『撃滅』と関連性が高い映画、この後は映画界を去る。


三色すみれ 植木進 中野英治 楠英二郎 小笠原長生中将 小笠原長生 海軍軍司令部参謀 太平洋 川浪良太 撃滅 八尋不二

1947年(昭和22年)5月3日まで存在した家族制度だが、これが終わる1年ほど前の戦後1年を待たずして、明峰は1946年6月20日に華族のまま、45歳で死去。

千恵蔵とは、記念すべき映画の初出演・主演作の現代劇1923『三色すみれ』(植木進名義)を監督として、日本映画界に大きな功績を残す。これは小笠原プロの第1作目に位置けられている記念すべき映画、このとき明峯は23歳、植木は20歳、二人は3歳差、のちの日本映画を代表する長編系世界歴代1位の主演350本越え(現存含む)の超絶大スター片岡千恵蔵の形成の第1歩に大きく貢献、

植木は『三色すみれ』後、関西歌舞伎の名優・十一代目片岡仁左衛門の門弟に戻り、4年ほどのブランクを経て、1927年にマキノプロで時代劇スター片岡千恵蔵名義として再び映画デビューします。


十一代目片岡仁左衛門




2 人見吉之助 一定の成果2
監督数35本ほど、実働は1926~1931、うち1926~1928は時代劇を中心、1928~1931年の遺作まで現代劇監督、マキノ梅太郎主演の1928「ひよどり草紙シリーズ」5作を監督が代表作、代表作が少なく、監督歴5年、本数も少ないため、名匠とは言い難い人物だが、一度は光を放った。時代劇メインのマキノプロのサブである現代劇の一翼を担い、1930年代から文芸路線で複数の代表作を残した名脚本家・八田尚之と、戦前のみのコンビを形成、のちの八田の活躍の下地に貢献した。

千恵蔵とは、千映画主演5本目『敵討鑓諸共』のみ1本、この映画は、千恵蔵初の長谷川伸の原作、長谷川とはのちに多くの名作で縁があるとう意味で価値がある関与、また撮影は松田定次、これが千恵蔵と松田の初の仕事、戦後に黄金コンビの形成と大成功という意味においても一定の成果、脚本は西條照太郎(代表作20本を越す名脚本家)で、千恵蔵主演映画は1928『河内山と直侍』も脚本


人見吉之助 マキノ梅太郎 ひよどり草紙 八田尚之 敵討鑓諸共 長谷川伸 松田定次 西條照太郎



美空ひばり ひよどり草紙(唄 美空ひばり)

美空ひばりが歌う「ひよどり草紙」です。映画は人見吉之助が監督した『ひよどり草紙』と同じ、国民作家といわれた吉川英治原作の時代劇です。

時代劇作品ながらこの歌の映像は現代なのでややこしいところです。「ひよどり草紙」は1928年にマキノプロでマキノ梅太郎(マキノ家の一員ではない、芸名としてあやかってつけられたマキノ姓)、1933年に新興キネマで尾上菊太郎、1952年に宝プロと東映で無名俳優の重光彬、1954年に新芸術プロと松竹で美空ひばりによって映画化されています。映画は1928~1954年まで、4度8本が制作されています。

美空ひばり 吉川英治 国民作家 尾上菊太郎 重光彬 新芸術プロ


1954年の『ひよどり草紙』は、美空ひばりと中村錦之助(萬屋錦之介)の初共演であり、錦之助の映画デビュー作としても知られている映画です。上州、赤城、浅間山とあります。上州や赤城は国民的な時代劇題材の国定忠治の舞台としても有名な場所です。

ひばりのパトロンともいえる縁が深い製作者の福島通人が新芸術プロで制作、監督は東映へ移籍する直前の内出好吉、前回記事にもありますが、千恵蔵とのコンビの映画もあります。



中村錦之助 萬屋錦之介 国定忠治 福島通人 内出好吉





名匠巨匠以外の映画監督たちの千恵蔵コンビ 一定の成果や成功や大成功②





3 高見貞衛   成功2 一定の成果3
監督数70本ほど、実働1927~1959、全体は現代劇メインの監督、一時的に輝いたが名匠とは言い難く、マキノから河合、帝キネ、新興、甲陽、戦後は新東宝系1本の監督、渡り鳥のように定着はできず、デビュー当時のマキノ時代がもっとも活躍、1959年の『悪魔と拳銃』(製作は日米映画とNTV、配給は新東宝)が遺作とされています。



高見貞衛 悪魔と拳銃 日米映画 NTV


千恵蔵のマキノ時代終盤の代表的主演作1927~28「任侠二刀流」三部作を監督、この後の千恵蔵はマキノを飛びだし千恵プロを創立、これに高見監督は貢献、また直木三十五原作の1927『烏組就縛始末』(浪人物と勧善懲悪物の要素のように思われる)も監督で4本のコンビ、千恵蔵映画4本が自身のキャリアで最大の代表作となる。「任侠二刀流」はのちの二刀流も描かれる千恵蔵の代表作の「宮本武蔵」へつながります。

任侠二刀流
「大進軍 ビックパレード」の下、「任侠二刀流」があり、配役部分に千恵蔵の名前があります。これは非常に貴重な画像です。


任侠二刀流 直木三十五 烏組就縛始末 勧善懲悪物 大進軍 ビックパレード




4 稲葉蛟児  一定の成果4
監督数50本ほど 名匠とは言い難いが、1928~1951の実働、比較的活躍した人物、マキノ時代の嵐長三郎(のちに改名・嵐寛寿郎)の主演作1928『強者』でデビュー、これは途中から引き継いで監督、2本目の『間者』、同年の河津清三郎主演の『傴僂の兄貴』が本格デビュー作

嵐長三郎 嵐寛寿郎 河津清三郎 傴僂の兄貴 強者


千恵蔵とは、赤穂浪士の間重次郎(討ち入るために吉良方の情報を探る間者役)を演じた『間者』のみ、監督はマキノ正博(雅弘)、松田定次、稲葉蛟児の3名、現存する『実録忠臣蔵』(1968年に公開、1928年の『忠魂義烈 実録忠臣蔵』と『間者』の現存部分を組み合わせた映画)には、マキノ正博のみの表記で、松田定次 稲葉蛟児の名前はないが、代表してマキノ正博のみの表記されています。

『実録忠臣蔵』と『忠魂義烈 実録忠臣蔵』の千恵蔵は、助演で出演(服部一郎右衛門、萱野三平の2役、これも意味があるもの)、『間者』は千恵蔵の初の忠臣蔵題材の主演作として非常に重要な映画です。
 


間重次郎 実録忠臣蔵 忠魂義烈 実録忠臣蔵 服部一郎右衛門 萱野三平


服部一郎右衛門(はっとりいちろうえもん)は、服部市郎右衛門の名義でも知られる大目付、忠臣蔵題材に登場する場合がある架空の人物、討ち入り後の赤穂浪士一行が、討ち入りの成功を報告するため、亡き主君・浅野の墓がある泉岳寺の途中にある両国橋のたもとで、一行を止めた人物として映画で描かれることが複数あります。

服部市郎右衛門 泉岳寺

映画の役名の萱野三平(萱野重実)は、赤穂藩浅野氏の家臣、「早野勘平」としても描かれるものも存在、歌舞伎や映画やドラマでは討ち入りを拒絶し、恋人のおかるとの心中事件が描かれる場合があります。「お軽勘平」または「おかる勘平」のエピソードとしても有名です。史実は赤穂浪士になることなく、浅野の命日に28歳で自刃(切腹)したと記録されています。歌舞伎だとお軽勘平、ドラマでは「おかる勘平」表記のものもあります。

萱野重実 赤穂藩浅野氏の家臣 早野勘平 お軽勘平



忠魂義烈 実録忠臣蔵 服部一郎右衛門役
千恵蔵が戦前を代表するオールスター映画『実録忠臣蔵』や『忠魂義烈 実録忠臣蔵』で演じた服部一郎右衛門役の写真です。この映画の1928年の千恵蔵は数え年25歳、もちろん現代にように完全に整形なしの白塗り顔、これぞまさに黄金顔

顔が良いというレベルを越した顔立ち、抜群に突き抜けています。映画にもつながりますが写真写りが別次元、ジャニーズタレントも大差で負ける顔立ち、それに加えて、主演俳優としての能力はさらに格が違います。







名匠巨匠以外の映画監督たちの千恵蔵コンビ 一定の成果や成功や大成功③







5 曾我正史(振津嵐峡) 成功3 一定の成果5
監督数12本(2023時点)、監督としての実働は1928~1935、曾我正史は世界ナンバーワンスタープロダクション(戦前の世界ナンバーワンの独立系映画会社)世界の”千恵プロの会計係”として知られ、資金面から映画製作中心に裏方で支えた大貢献者、千恵プロの創設時からの両盟友の稲垣浩と伊丹万作が体が弱く(千恵蔵は将来性を重視して両名を自社に採用)、曽我は両名の監督代役として「振津嵐峡」名義でも一定の活躍、山中貞雄やマキノ雅弘、伊藤大輔などの外部監督を含めて、その一翼を担って間を上手につなぎ、監督としてはのちの巨匠たちのパイプ役の貢献を果たしました。

曾我正史 振津嵐峡 稲垣浩 伊丹万作 山中貞雄 マキノ雅弘 伊藤大輔


千恵プロ後は、千恵プロの実積を糧に、日活京都撮影所の製作部長、1940年代は大映京都撮影所の取締役所長など多くの役職を重ねて、1950年代は大映の専務取締役、1960年代以降は洋画の買い付けや配給のニッポンシネマコーポレーションや第一フィルムなどの取締役会長、1970年代まで日本映画界に大きく貢献、監督や脚本、撮影以外の千恵蔵近隣の裏方としては、牧野省三、大川博や岡田茂、牧野光雄、永田雅一、玉木潤一郎(映画界の伝説の超大物たち)などに次ぐクラスです。戦前としてはもっとも貢献した監督や脚本、撮影以外の裏方です。

牧野省三 大川博 岡田茂 牧野光雄 永田雅一 玉木潤一郎 ニッポンシネマコーポレーション 第一フィルム

監督としても現存含むとコンビは12本(公式は8本)を越し、全て千恵蔵が主演、監督としても一定の活躍を果たしたが、監督数10本、7年強の監督歴、千恵蔵映画や日本映画の功労者ですが、名匠とは言い難い人物です。

曾我正史の『愛憎血涙』はデビュー作、『利根川の血陣』として現存、『続万花地獄 完結篇』は「万花地獄シリーズ」8本目の重要な作品、『ごろん棒時代』は断片が現存、侠客もの「快侠金忠輔」三部作も代表的、『三ッ角段平 股旅新八景』は股旅物、『元禄檜笠』は千恵蔵の代名詞の一つの忠臣蔵とは無関係、『利根川の血陣』は3バージョンが現存しています。


愛憎血涙 利根川の血陣 続万花地獄 完結篇 万花地獄シリーズ ごろん棒時代 快侠金忠輔 三ッ角段平 股旅新八景




1分11秒にニッポンシネマコーポレーション(NCC)が登場します。ニッポンシネマコーポレーションは1953年(昭和28年)に公開されたイタリア映画『パンと恋と夢を』を1955年に日本で配給しています。

『パンと恋と夢を』の主演は、巨匠・名匠としても知られ、俳優としても活躍のヴィットリオ・デ・シーカ、監督のルイジ・コメンチーニもイタリア映画で5本を越す代表的作品を残した名匠です。生涯監督数の平均が少ないイタリア人監督ですが、彼はイタリアだと多作の50本近い映画の監督、中長編のみも40本を越しています。テレビでも「ピノキオ」題材の代表作があります。

曾我正史は1958年はまだ大映の取締役であり、1955年のこの映画に関わっていたのか詳細不明


NCC パンと恋と夢を ヴィットリオ・デ・シーカ ルイジ・コメンチーニ




6 勝見正義  一定の成果6
監督数40本強、実働は1925~1937、一定の活躍はしたが名匠とは言い難い監督、実兄の勝見庸太郎は、1920年代前半の蒲田草創期に「男優三羽烏」(最初の松竹三羽烏、日本初の明確な3大スターの名称)に選ばれた大スター、勝見正義は1925年からマキノプロ時代に監督を経て、1926年から兄の映画会社・勝見プロ(勝見庸太郎プロダクション)でも監督、兄の主演で弟の監督の”兄弟コンビ”を実現させる12本を記録、

日本映画の初の兄弟コンビの二桁を記録しています。兄弟コンビは3年ほどの期間、勝見プロは最低でも25本を制作で5年近く継続、一定の支持があったものと考えられます。1929年に最後の兄弟コンビを経て、古巣のマキノ、大都、勝見雅之の名義で甲陽と渡り歩いています。

勝見正義 勝見庸太郎 男優三羽烏 松竹三羽烏 日本初の明確な3大スターの名称 勝見雅之

勝見正義自身の代表的な映画の明確なものは月形龍之介が浅香恵之助を演じた有名題材の「修羅八荒」三部作の2本を監督(3本目は二川文太郎他)だと考えられます。このほかの有名題材は、白虎隊、紺屋高尾、不破数右衛門(忠臣蔵系)、紅蝙蝠、一心太助など10本ほど手掛けています。代表的な候補となるものです。

月形龍之介 浅香恵之助 修羅八荒


千恵蔵と勝見正義のコンビは、1928『河内山と直侍』のみ、この映画12本も兄弟コンビに含まれ、河内山が勝見庸太郎、直侍が千恵蔵だったと考えられます。つまりダブル主演といえる映画です。なぜこのように考えられるかですが、実は勝見庸太郎の2役は、主演67本(現存版は含まない数字)のうち、2役が確定しているものがたった1本のみだからです。この映画も庸太郎は一役のみだった可能性が高いと考えられます。

河内山と直侍

この映画は、松竹の大スターだった勝見と、活躍がすさまじい千恵蔵の最初で最後のダブル主演、共演時は新旧スター共演だったわけです。1928『河内山と直侍』時点の千恵蔵は千恵プロ公式4本目、主演21本(現存含むと28)の時に共演、勝見の単独主演51本(現存含まない)の時、この時点では本数にかなりの差がありました。

共演時は勝見の方が千恵蔵より、まだ実積が上でした。この映画出演時の千恵蔵は10本ほどの代表的な映画、なんと勝見は5本ほど、主演数は勝見が格上の2倍ほどリードしていましたが、代表的な主演作のみだと、すでに千恵蔵の方が上だったともいえますし、この映画の時点で、助演含むと千恵蔵と勝見は10本強とほぼ同格です。

製作は勝見プロなのですが、撮影が千恵プロの石本秀雄(代表作50本を越え、オールスター20本以上、日本映画史を代表する撮影技師)です。これはメインでないにしても、千恵プロ側が制作の一部に関与していたとみることもできます。

石本秀雄


神田伯龍傑作集 第四巻 天保六花撰 「河内山と直侍」、「石町妾宅」


勝見正義と千恵蔵で映画化している「河内山と直侍」の講談もあります。神田伯龍(かんだ はくりゅう)は講釈師、最高峰ともいわれる生世話物の名人です。千恵蔵主演で2本存在する「刺青奇偶」の講談もあります。

神田伯龍 刺青奇偶


勝見正義

写真付きと読み上げてくれるので、わかりやすく、この人物の一端が想像できます。





7 岡田敬  一定の成果7
監督数40本ほど、実働は1930~1942、全般は日活から東宝へと活動し、時代劇から全体は喜劇映画の監督、戦中で監督の履歴が途絶えている人物、名匠とは言い難いがある程度の活躍の監督、デビュー作と考えられる光岡龍三郎主演の1930年の「貝殻一平」前後篇の2本が最大の代表作、「貝殻一平」は競作を含み、戦前から戦後に何度も映画化された有名題材です。

岡田敬 光岡龍三郎 貝殻一平

東宝の前身のP.C.L.移籍後は、エノケン、ロッパ、エンタツ、アチャコ、金語楼の日本を代表する伝説的な喜劇俳優の主演作を撮りました。全体は喜劇路線の監督といえます。エノケンこと榎本健一主演のオールスター『水滸伝(1942)』(名優18名)も代表的なものだと考えられます。大映移籍の1本目の『豪傑系図』が遺作とされています。

榎本健一 水滸伝(1942)


千恵蔵とは、日活専属時代の千恵プロへ出向時の1930「風雲天満双紙」前後篇の2本のみ。千恵蔵は有名な大塩平八郎を演じています。大塩は役人として大坂町奉行所の与力の名声を得ながら、不正や汚職が許せずに正義から乱を起こして国賊に至った、実に波乱の人生を巡った人物です。「風雲天満双紙」の天満は、大塩らが乱に至るための重要な現・大阪市の地名です。有名な役を演じているという面において、千恵蔵にとっても意味があるもので、公開時の冊子ものこされています。


風雲天満双紙 大塩平八郎

佐々木味津三 昭和二十二年 初版 佐々木味津三選集 第一巻 風雲天満双紙 新文社

中古ですが非常に貴重な小説「風雲天満双紙」です。佐々木味津三は、映画化作品は100本を越す時代小説の大作家、映画化数は日本歴代10位圏内に含まれます。

佐々木味津三は、国民的な「右門捕物帖」と「旗本退屈男」が二大代表作、しかも両方が30本以上映画化されています。千恵蔵とは1930『右門捕物帖 三番手柄』、「風雲天満双紙」の2本の主演3本、2番手表記(劇中大トリ表記)の『旗本退屈男(1958)』 の主要(助演)の4本が公式、「風雲天満双紙」はの断片版、『右門捕物帖 三番手柄』が3バージョン現存、公式4と合わせると8本です。

佐々木味津三 右門捕物帖 旗本退屈男 右門捕物帖 三番手柄 旗本退屈男(1958)


朗読 貝殻一平第1章 吉川英治


岡田敬の代表的作品の「貝殻一平」の原作は吉川英治、「宮本武蔵」ほどではありませんが、比較的有名な吉川英治の代表的作品の一つ(上位10選級)、ユーチューブで朗読も聞ける時代、原作の朗読から現存しない映画を想像することもできます。


宮本武蔵



8 西原孝   成果は特になし
監督数20ほど、実働は1931~1944、制作26の1950~1958が確認できる人物、名匠とは言い難い人物だが、一定の活躍をみせた。また制作者時代を含めると50本近い映画に関与、市川右太衛門と深い縁があり、監督時代に右太衛門が新興キネマの専属時代の1938『宝の山に入る退屈男』や新興キネマオールスター大作の1941『荒木又右衛門 仇討の日』(名優15名ほど)の4本の監督、戦後の制作者時代に東映で8本のコンビを形成、『旗本退屈男 八百八丁罷り通る』など「旗本退屈男」3本を制作(企画表記)、

西原孝 宝の山に入る退屈男 荒木又右衛門 仇討の日 旗本退屈男 八百八丁罷り通る

右太衛門とは監督4、制作8の12本(現存版含まない)が確認できます。1950~1955は東映(前身の東横含む)で製作の後、1955年から日活の製作者になっています。その際は、個性的な時代劇の名匠・丸根賛太郎の「極楽剣法」前後篇と「快傑耶茶坊」前後篇の計4本も制作しています。

丸根賛太郎 極楽剣法 快傑耶茶坊

千恵蔵とは1本のみ、千恵プロが日活を離れて1年のみの新興キネマと提携を結んでいた時期、1935年4月公開の『京洛浅春譜』(京洛浅春譜 同志闘争篇)のみの1本です。千恵蔵と西原孝は戦後の東映の制作者時代に再会していたものと考えらますが、制作者と主演のコンビは1本もありませんでした。

京洛浅春譜 京洛浅春譜 同志闘争篇









「我等の千恵蔵・京都座へ登場」 二人の名女優と戦後の千恵蔵7本の新選組映画につながる幕末物





京洛浅春譜』の個性的な色彩のポスターです。「我等の千恵蔵・京都座へ登場」とあります。


京洛浅春譜

この映画は、戦後の千恵蔵7本の新選組映画(かなりの成功)につながる幕末物です。千恵蔵映画撮影所、オールトーキーなどとあります。高尾光子(ヒロイン)と時代劇スターを経た南光明が主要、西原孝の名前も小さめに確認できます。2023年時点で、現存していない視聴不可能な幻の千恵蔵映画です。

南光明 オールトーキー

ポスターの千恵蔵と3人の写真の女優は、高尾光子、歌川絹枝です。

高尾光子は松竹鎌田中心に活躍した女優、120本以上の映画の出演の名女優、歌川絹枝(歌川絹江)は東亜キネマや右太プロ、右太プロ時代は、大スター市川右太衛門のヒロインを10本以上勤め、この映画の共演に至っています。歌川絹枝は140本以上の映画に出演の名女優です。

高尾はこの1本のみの共演ですが、歌川はこの映画から約1年半後の千恵プロオールスター『荒木又右衛門(1936)』(荒木の妻お峯役)でも共演しています。


高尾光子 歌川絹枝 歌川絹江 荒木又右衛門(1936)


『京洛浅春譜』は、千恵蔵のW120本越えの2大女優と、二人同時の初共演作、このような面において意味があった映画と捉えることもできます。それでも、明確に代表的とは言い難い部分もあり、一定の成果に含んでいません。






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