【生涯無職映画監督伝説】無職を生涯貫く行き生き天国 森紅
忘れ去られたのか、いえ認知されることさえもほとんど無いまま現代へ至った映画監督の森紅(別名義は主に服部茂)に関して取り上げてきました。 森紅は生涯無職(生涯無職映画監督)だったとされ、無職を生涯貫く生き様で行き過ぎて生きた=行き生き天国(自由で奔放な人生)を貫いた人物です。この天国は裏を返せば地獄ともいえるわけですが、地獄ではなく、本当に天国だったのでしょうか?
「【生涯無職映画監督伝説】無職を生涯貫く行き生き天国 森紅」開演です。
前回記事リンク⇒某月某日 映画愛子が東京国立近代美術館フィルムセンターへやってきた
【生涯無職映画監督伝説】驚愕の事実へ
今回は更に驚愕の事実に迫りたいと思います。前回の記事でもちょっと触れましたが、東京国立近代美術館フィルムセンターの上映企画「発掘された映画たち2018」(Cinema: Lost and Found 2018)の個人映画特集:2 森紅・服部茂作品集の上映に際のトークショーで紹介された内容を元に記事作成している部分がいくつか存在しています。

*映画愛子による東京国立近代美術館のフィルムセンターの出入り口の撮影写真
『別府のお父さんに逢ふて来ます』 父親と船との出会いが森紅を形成
森紅の父親が九州の別府に入院していたエピソードが残されています。これは彼の映画人生にとって重要な部分になっていきます。
森紅の父親の神戸で当時有名な政治家(現在はほぼ無名)であり、お金持ちだったため入院は当時の別荘として当時人気があって、医療が発展していた九州の大分の別府の大きな病院に入院していました。
森紅の父が別府の病院に入院した頃、神戸から九州までの瀬戸内海を通る船の往航が始まりました。往復による航路ができたことから父親は大分の別府の医療が優れた病院に入院できたようであり、お見舞いに行く際にも陸から出かけると大きな手間がかかりますが、船で行けば時間や料金の負担が省けます。いくつかの運命ともいえる要素が重なり船との縁が生まれ、森紅やその家族は兵庫県の神戸に住んでいましたが、父のお見舞いこの船を利用してこの大分の別府お見舞いに出かけました。
個人映画特集:2 森紅・服部茂作品集の上映3作目の『別府のお父さんに逢ふて来ます』で、船に乗っている場面が登場しますが、
九州へ往航する際の船の”紅丸”から瀬戸内海の海を撮影した映像が印象的に撮影されています。この紅丸がすごく気に入ったのでしょう。自分の映画監督名の森紅にある”紅の部分”はこの船の紅丸からとったものだと考えられます。
父親と船”紅丸”が森紅の名前やその映画人生を形成したのです。

*映画愛子による東京国立近代美術館フィルムセンターの上映企画「発掘された映画たち2018」(Cinema: Lost and Found 2018)の開催中の写真
今回「個人映画特集:2 森紅・服部茂作品集」で上映された森紅(服部茂)の作品群
・森紅名義
『今日の佛事』 7分 1930 ドキュメンタリー
『納骨の日』 10分 1930年代初頭 ドキュメンタリー
『別府のお父さんに逢ふて来ます』 14分 1930頃 ドキュメンタリー
*上記「『別府のお父さんに逢ふて来ます』 父親と船との出会いが森紅を形成」で登場
『寂光』 13分 1930頃 ドキュメンタリー
『森紅小品集』 4分 1932 ドキュメンタリー
5
・服部茂の名義
『私の子供』 6分 1934 ドキュメンタリー
『忍術三太郎』 8分 1927 現代劇
*下記「生涯無職映画監督が日本最初の巨匠の大ファンで作った忍術映画の深層」で登場
『學生スポーツ劇 若き日』 15分 1927 現代劇
『彌次喜多 散歩の巻』 6分 時代劇要素を持つ現代劇 1928
『喜劇 ホイホイ先生 海岸の巻』 4分 製作年不詳 現代劇
10
『さくら』 4分 1938 ドキュメンタリー
11
森紅の9.5mmパテ・ベビーへの異様な執着とこだわり
森紅は新しい高性能の撮影器具が登場しても、フランスの製造会社が作った9.5mmのパテ・ベビーを好んで使い続けた珍しい監督でした。映像を記録する9.5mmパテ・ベビーのフィルム燃えにくい特色がありましたが、逆に日本映画最初の巨匠・日本映画の父ともいわれる牧野省三が利用していた可燃性フィルムのように燃えやすい難点がありました。
ここからはトークショーでも登場しなかった独自な解釈が多く含まれます。牧野省三が大規模なセットや大勢の俳優、当時は前例のない巨額の費用を投入し、異例の長期間をかけて完成させた忠臣蔵映画群(数年にわたって断片や場面的に撮影を繰り返した)を完成させたときにフィルムが燃えてしまい、気を病んで死につながったエピソードは日本映画史の中でも有名です。
この話を森紅が知っていたのかはわかりませんが、牧野省三が亡くなったのは1929年、森紅が燃えにくい9.5mmパテ・ベビーのフィルムを使い始めて映画活動を始めたのは1920年代の後半と考えられており、時期と重なります。
森紅は映画ファンで牧野省三を知る、尊敬していたからこそ、燃えやすい可燃性フィルムではなく、燃えにくい9.5mmパテ・ベビーのフィルムを選択し、利用の一つの要素のだったのかもしれません。次で取り上げますが、その証拠と考えられる部分が自作に残されています。
今回記事の裏側リンク ↓ ↓
生涯無職映画監督が日本最初の巨匠の大ファンで作った忍術映画の深層

瀬戸内海賊物語 【DVD】
今回登場した瀬戸内海を舞台した映画は2014年の松竹映画『瀬戸内海賊物語』が作られています。村上水軍を題材にした作品ですが、実は戦前にも村上水軍を題材にした作品は作られていますが、現存していないようです。また、出演者には連続テレビ小説の97作目『わろてんか』の主人公を演じる葵わかなが上位の助演で出演しています。映画に興味がなくとも朝ドラこと連続テレビ小説のファンや葵わかなの出演で見る価値があるかと思います。
『瀬戸内海賊物語』は興行収入5100万円とあり、残念ながら現代としてまったくヒットしませんでした。さらに全然大きなところではありませんがLA EigaFest 2013の招待作品として上映されています。映画愛子もこのLA EigaFestは今回で始めて知りました。監督の大森研一は2018年時点で40代の若手監督ですが、映画監督の40代は高齢化が進んでいるため、現代ではまだまだ若手の分類です。元気がない松竹の実写映画に貢献できるような今後に期待したいところです。
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映画240作の歴代大脚本家の八住利雄の知られざる扉を取り払う
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【映画残念物語】テレビが無視する松竹時代劇映画の巨匠たちの秘め蜜をつっつけ
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2018/04/12 00:01 | 邦画の探求 | COMMENT(0) | TRACKBACK(0)
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